[Opinion―研究の現場から]

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本コーナーでは,実験医学連載「Opinion」からの掲載文をご紹介します.研究者をとりまく環境や社会的な責任が変容しつつある現在,若手研究者が直面するキャリア形成の問題や情報発信のあり方について,現在の研究現場に関わる人々からの生の声をお届けします.(編集部)

第97回 がんゲノム医療の臨床現場と基礎の現場に身を置いて

「実験医学2018年7月号掲載」

「医療従事者として,研究者として,がん患者の役に立てる臨床検査技師になる」―20年来の親友を大腸がんで亡くした.これが生前の彼女に送った最後のメッセージとなった.この直後,私は病理検査技師として長年勤めた神戸の大学病院を退職し,北海道の大学病院でがんゲノム検査の世界に入った.彼女の死後2年が経過した今は現職に就き,臨床の現場で外来に出てがん患者に医療面接し,患者さんの検体を用い,次世代シークエンサーを利用したがん遺伝子パネル検査を行っている.同時に基礎の現場でオルガノイドを使ったがんゲノム研究も行っている.臨床検査技師として検査業務に従事しながら基礎研究に勤しむ検査技師は国内では少数派であり,外来で直接患者さんと対峙もしている臨床検査技師は数人,いや私一人かもしれない.

私の土台は病理学であり,病理診断用の標本を作製する業務に約15年間従事していた.目に見える組織や細胞の世界から目に見えないゲノムの世界へ,臨床の現場でしか生きて来なかった技師が研究の現場へ… 臨床現場と研究現場はあまりにも大きな隔たりがあり,技術的なレベルや価値観,思い描く近い未来への期待にもかなり大きな差を感じる.臨床現場では手持ちの技術と知識だけで目の前の患者さんや検体をルーティーン通りに処置していく.「患者さんの生死」のため,限られた時間内で検査の早さと正確さが要求される.だからこそ新しい技術や価値観の導入には消極的または否定的である.

一方,基礎の現場では,いかに研究計画通りに進められるのか,新しい技術の確立やデータの収集のため時間が費やされる.「患者さんが医療に求めていること」を把握することが難しく,臨床現場を知らないことによる「現実」との乖離がとても大きい.しかし,基礎研究なくしては医学の発展はありえない.

「誰かの役に立てるなら,私の細胞を使って研究を」友人が口にした言葉が私を基礎の現場にも身を投じる決意をさせてくれた.

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「研究留学のすゝめ!」

日本の臨床検査技師は専門学校や短期大学出身が多く,その場合は研究をした経験も論文を書いた経験も持たない.臨床でしか生きてこなかった私が基礎の現場に身を投じることは,そう簡単なことではないと理解しているつもりであり,現在はPhD取得と医学研究のイロハを学ぶために社会人大学院生となり,終業後に大学院の講義を受け,勉学にも励んでいる.

私が業としているがんゲノム医療の現場では,医師,看護師,薬剤師,がん研究者,バイオインフォマティシャンなどさまざまな職種とともに患者さん一人ひとりの命のためにチームを結成し医療を提供している.これも臨床現場でしか経験できないことであり,臨床検査技師としての誇りと責任を感じられる瞬間である.同時に,臨床検査技師は生理学,生化学,病理学,微生物学,薬理学,免疫学等すべての分野にかかわる検査データを読み,理解し,診断や病態と結びつけることができる知識と技術を持っており,このスキルを研究に活かすことができれば,臨床検査技師も研究者として基礎の現場での存在を許されるのではないかと信じている.これからも臨床の現場で患者さんを感じながら,患者さんの命のために正確な検査を行いながら,未来の患者さんのために研究に励もうと思う.

臨床の現場と基礎の現場には大きな隔たりや乖離があるのは認めざるをえない.ただ「患者さんのために」という志は共通だ.基礎研究は臨床のためにあり,現在の臨床もまた基礎研究なくしては存在していないことを理解し,双方が協力しあい患者さんの命を救うこともまた,「チーム医療」とよべるのではないだろうか.

柳田絵美衣(慶應義塾大学医学部病理学教室/慶應義塾大学医学部腫瘍センターゲノム医療ユニット)

※実験医学2018年7月号より転載

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本記事の掲載号

実験医学 2018年7月号 Vol.36 No.11
次世代抗体医薬の衝撃
新たな標的・新たな機序によりいま再び盛り上がる抗体創薬

津本浩平/企画
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