(レジデントノート2011年6月号)
レジデントノートに掲載された連載「脳と心と眠りのプライマリケア」の特別座談会の様子に,本誌未掲載の番外編を加え公開します.
立花 堀有行先生(金沢医科大学医学教育学教授)と私には共通点があって,2人とも最初は精神科医からスタートしたのですが,いつの間にか,神経内科に足を突っ込んでいて,だけど純粋な神経内科医になれず,精神科も捨てることができないままであったことで,堀先生と私の興味が重なったのだと思います.睡眠の診療をしていると,睡眠のことだけやっているわけにはいかなくなって,どうしても神経内科側の知識,精神科側の知識,両方必要になってきます.「脳と心と眠り」という3つのトピックが結びつくことによって非常に広い領域となるわけですが,この領域が今の日本の医療のなかでは欠けていたのです.
河合 そういったバックグラウンドや想いからISMSJや本連載企画が生まれたのですね.
河合 三上先生のバックグラウンドも教えていただけますか.
三上 本当はブラックジャックにあこがれていて,最終のポリクリも外科を選んだのですけれどあまり面白くなかったんです.一方で当時の精神科は何もわかってないところがあって「いったいどうなってんねやろ」と考えることが面白くて興味を惹かれました.また当時の精神科は,精神神経科であって,決して心だけを診る科というわけではなかったのですね.当初はやはり心理的なことに興味があったわけですが,実際に診た患者さんといえば,良性の脳腫瘍でてんかんの方や,CO中毒で自殺未遂の方だったりしました.このCO中毒の方はいたって正常の男性だったのですが,問題のないまま経過観察から3週間位したときに突然嘔吐しまして,それで脳波をとったらアルファ波が徐波化していたのです.これは潜伏期のあるCO中毒だろうということで,結局,高圧酸素療法などを行いました.こうしたこともあり,心を診るだけでなく,やはり脳も診なくてはいけないという環境で研修をしたということが今に影響していると思います.
河合 大倉先生のバックグラウンドは神経内科でしたよね.
大倉 私が出身の神戸大学には当時神経内科教室がなかったので,1年目から外の病院に出て,神経内科研修を始めました.神戸大学の医局は精神科となっていて,精神科グループのなかに神経内科グループがあったので,高次脳機能をやっている先生方も多くいました.私も元々高次脳機能に興味があったので,4年間の研修の後,兵庫県立姫路循環器病センターにある,高齢者脳機能研究センターに高次脳機能の勉強に行きました.そこは,神経内科医と精神科医が全く一緒の職場で同じ患者を診ているという状況でした.完全に同じ仕事を,両方が同じスタンスで仕事をしていたので,精神科の先生からもかなり教えていただくことができました.5年目のときにはじめてRBD(レム睡眠行動異常症)の人のPSG(睡眠ポグラフ検査)をとったんです.でも,わたしにとってはPSGはそれがはじめてでPSGが何かということもよくわからずにとったので,10秒を1枚でとったのですが…大変な紙の量になって「なんやこの検査(笑)」と思ったのが始まりでした.認知症の人で,ボクシングの試合を見た後に夜中一生懸命暴れるのをみんなで見たのですが,私もPSGの意味がよくわかっていなかったし,授業でもほとんど出ていなかったので,睡眠段階のステージ1とか2とかもぴんと来ていないような状態でした.その後,スタンフォード大学に行くことになり,ナルコレプシーセンターにたまたま縁があって,そこでナルコレプシーを学びはじめたことがこの分野にかかわるきっかけとなりました.
立花 河合先生は,どこで睡眠に出会ったんですか.
河合 私は日本で内科を1年,神経内科を2年学んで,アメリカに渡り,内科レジデントを2年,Neurologyのレジデントを3年やって神経生理に入りましたが,そこは,アメリカでは珍しくNeurologyで睡眠をやっているところだったのです.そこで診療をするなかで,てんかん患者のなかに少しRBDの方が入ってきたり,PSG検査をする方もいて,実際にCPAP(経鼻的持続陽圧呼吸療法)を行うと,劇的に治っていくという経験もしました. ALSなど治らない病気を多く扱っていましたので「劇的に治る」という体験に非常にポジティブなイメージを受けたのです.ALSの患者さんであっても,四肢の脱力は少ないけれど嚥下困難と呼吸筋麻痺が進む人がいたのですが,気管切開の判断はまだできないといった状態でした.そのときは,スタンダードな方法ではなかったのですが,BIPAPを夜間に装着してもらったところ,どんどん良くなって歩いて帰られたんですよね.夜付けているだけでADLがかなり上がった方を見て,やはり,そこに何か大きな「睡眠」というブラックボックスがあって,自分のわからないところで何かが起きている,またそれを実際観察するPSG,ビデオPSGという方法がある…,そういった点に興味を惹かれたのです.
立花 私と三上先生が大阪大学の学生だった頃,菱川泰夫先生(その後,秋田大学医学部精神医学教授)という方がいらっしゃって,脳波睡眠研究室というところで,ナルコレプシーや睡眠時無呼吸症候群といった,非常に先駆的で活動的な研究をされており,医学部の講義では精神科治療学というところを担当していました.なかでも忘れられないことがあって,講義の一番最初に黒板に「精神科治療学」と書いて,「精神科における治療とは,治療かもしれない試みをすることである」とおっしゃったのですね.恐らく“エビデンスなんて,そんなものあるわけがない.これから話すことはすごく唐突に聞こえるけど,こういう努力のもとにここまで来た”ということを,たぶん伝えたかったのだと思います.
立花 私のアメリカの医師のイメージとして,少なくとも睡眠をやっている人は neurologistでも,やっぱりpsychologyを非常によく知っているという印象があります.
河合 neuropsychiatryというのやbehavioral neurologyというフェローシップもありますから.ただ,高次脳機能というものを脳の現象と確実に結びつけていくので,議論の余地がなくなってしまうというのが,アメリカのあまり面白くないところではありますね.ある境界を越えた途端に「うちはここまでです」とすぱっと切ってしまうところがあります.
ですので今は,精神科は全部,それ以外の科も,病気ごとに診ている感じですね.Schizophrenia,うつは精神科が診ますが,そうではない何かよくわからないものは,とりあえず神経内科が診たりするという感じです.
立花 最近は精神科の方で働いていないのですが,以前の日本の精神科は総合病院のなかで最後に行き着くところというイメージがありました.いろいろな訴えをされるけどはっきり悪いところが見つからない,それでも本人が困っているというときに,最終的に精神科へ行きなさいとなっていました.ご本人は精神科に送られたことでちょっと怒っていて,そこでどうやってうまく話をしていくか…,というのが精神科の役割だと教え込まれましたけど,今は逆に,そういう人を精神科に送っても,この人はSchizophreniaでもない,depressionでもないから,うちではありませんと放りだしてしまう傾向があるように思います.その後患者さんがどこへ来るかというと神経内科に来ますよ.
三上 それを診てくれるところに回ってくる.紹介して診てくれたということがあれば,また紹介しようかと.ちなみに,アメリカでは不定愁訴というのはどこが診るのですか.
河合 不定愁訴と言っている時点では,恐らくいろいろな科が診ているのでしょうね.不定愁訴にもよりますけど,内科にFamily physicianがいますから,そこである程度診ています.ただ正しく診られているのかというと話は全く別です.よく知っている人が聞けば決して不定愁訴でないというものが「不定愁訴」と言われたもののなかに含まれていて,「不定愁訴」という言葉を使った時点で思考が停止してしまっていることがあるように感じます.例えば,RBDの訴えははじめて聞いた人からすれば「夢を見て暴れる,これはいったいなんだろう」と思いますよね.知らない人が聞いたら不定愁訴になるでしょう.でも,知っている人が聞けば,典型的なRBDだとわかります.