本コーナーでは,さまざまなフィールドでご活躍中の先生に,医師として歩んでこられた道のりや,現在,そして将来のこと,などについて語っていただきます.2015年4月号では東京城東病院 総合内科の志水太郎先生にご登場いただき,沖縄県立中部病院プライマリ・ケアコース 後期研修医の太田龍一先生にインタビュアーを務めていただきました.
太田先生(以下敬称略):志水先生が医師をめざした経緯を教えていただけますか.
志水先生(以下敬称略):医師になると決めたのは,6歳のときに漫画のブラックジャック(手塚治虫)と野口英世の伝記を読んだときです.自分の身を挺して人の命に貢献するということにとても感銘を受けました.それからは医師になると思い込んでいたので,他のものは何も目に入りませんでした.でも,大学受験のときは,学費と学力のことで医学部が高いハードルでした.アルバイトと社会人をしながら3浪しました.実は2浪目で精神的に限界がきていて,2浪がうまくいかなかったときに高卒で働こうと思いました.でも海外で働く父親から電話がきて「おまえがどうしても医者になりたいと頑張ってきたことをとても誇りに思っている.だから,いろんなことに気を遣ってやめるんだったら,俺はまだやってほしい.自分が掲げた夢の旗は絶対に降ろすな」と.このメッセージは私にとって最大のパールの1個です.じゃあもう一年だけやってみようと思って,国立しか受験できなかったのですが,医学部前期は落ちたものの,後期で愛媛大学の医学部に合格をいただきました.父からのこの言葉は,私がその後も直面する数々のキャリア上の困難に,いつも輝いている北極星のようなパール(重要なフレーズ)です.
太田:父親の言葉があって旗を降ろさずにいって,今があるのですね.
志水:不安で,辛くて,もうやめようと思う時ってありますよね.例えば行きたかった研修病院に行けなかったとか.実際にアンマッチになった後輩から毎年よく連絡がきます.私も初期研修がアンマッチで,アメリカでも3回アンマッチになっています.でも,旗を降ろさずに頑張っていると,必ず誰かが見てくれていて,他力本願という意味ではなくて誰かが引っ張ってくれるんですよね.辛いことを経験してきた人を私はリスペクトしているし,そういう人にこそ自分がもっているチャンスを共有・提供したいと思います.やっぱり辛いことを経験した人は痛みを知っているので優しい人が多いし,ほかの人の悩みや痛みもわかる.これは医師には絶対必要なことですよね.
このほかに2015年4月号本誌では,【浪人時代の経験】【総合内科の立ち上げ】【人とのつながり】【5人のメンター】【今後,めざすところ】などを収録!志水先生の人物像・医師像に迫っていきます!つづきは本誌で!また,本誌に収まりきらなかった内容をホームページ限定で順次紹介していきます.ご期待ください!
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