レジデントノートインタビューコーナー『あの先生に会いたい!』では,さまざまなフィールドでご活躍中の先生に,医師として歩んでこられた道のりや,現在,そして将来のこと,さらに私生活とのバランスの取り方などについて語っていただきます.また番外編では,本誌に収まりきらなかった内容をホームページ限定で紹介していきます.
徳田安春
下井先生(以下、敬称略):研修医時代に重点をおかれていたのは,どのようなことだったのですか.
徳田先生(以下、敬称略):あの当時は身体診察が当たり前だったので,それはもうみんなやっていました.私は,4年目のときにチーフレジデントになったのですが,そのときは腎臓内科,ネフロロジーの専門研修でやろうと思っていました.透析従事者研修を受けたりとか,腎臓病学会,透析学会にも入って,自分は腎臓の専門をやろうと,半分それを決めていたんですよ.
ところが,中部病院ではアメリカの指導医が年間10人ぐらい定期的に交代で来て,1週間から2週間くらい滞在するんですが,そのときに,Sapira先生(Dr. Joseph Sapira)という身体所見の有名な先生がいらしたんです.内科の幅広い分野で,病歴と身体所見で診断する,というものすごいスキルがあることを目で見て,これはすごい,自分もそうなりたいと思ったんです.腎臓病はやめて,総合的なものをやりたいと思いました.
当時,1991年頃ですが,日本には総合内科がなかったんですよ.いくつかの病院ではあったみたいですけどね.Sapira先生に出会って,アメリカにGIMというのがあるというのを知ったんです.一度アメリカでGIMを見てきたいと思い留学を決めました.
下井辰徳
下井:海外でも著名な先生方のご指導があったと思うのですが,実際留学なさってみて,向こうの医療は違うと思いましたか.
徳田:向こうはたしかに優秀な指導医は多かったですが,レジデントを見てみると,自分が沖縄でやってきたのとあんまり差はないというのが,率直な印象でしたね.というのはやっぱり沖縄でアメリカ式でやってきてますから.ただ,日本には当時,ジェネラルができるSapira先生みたいな指導医はなかなかいなかったですね.唯一Willis先生が沖縄でそれをやっていましたけど,私が入ったころ,もうWillis先生は中部病院にはおられなかったですから.
アメリカに行って最初はレジデントの動きを見ていましたが,ほとんど自分たちがやってたことと一緒ということがわかって,もっと突っ込んで身体所見を勉強したいと思い,実際Sapira先生のところに2週間ぐらい泊まったんですよ.朝から晩までずっと一緒に行動して,いろいろ質問もして.Sapira先生だけではなくいろいろな有名な先生のところへ弟子入りしました.心臓で有名な,Constant先生(Dr. Jules Constant)が住んでいるバッファローまで飛行機で行って,1カ月間,家に泊まって朝から晩までずっとくっついていました.
下井:すごいエネルギーですね.学びたいと思ったらそこまで….
徳田:Constant先生の家に泊まっていたときは,本をずっと持ち歩いて1カ月の間に読みながら,少しでもはっきりしないことがあったら全部質問するという形でやっていたのですが,それは非常によかったです.そのころからEメールもできるようになりましたから,パソコンも買って,日本に帰ってきてからもメールでいろいろ教えてもらい,毎年いろいろな先生方に沖縄に来てもらいました.そのネットワークがあって,私が沖縄にいるときはたくさんのアメリカ人指導医と交流をもつことができているわけです.ですから,中部病院にいたのは非常にラッキーでしたね.
このほかに2010年11月号本誌では,【医師を志すきっかけ】【徳田先生の研修医時代】【臨床研究との出会い】【臨床研究を続けて行くコツ】【初期研修医へのメッセージ】を収録!徳田先生の人物像・医師像に迫っていきます!つづきは本誌で!また,本誌に収まりきらなかった内容をホームページ限定で順次紹介していきます.ご期待ください!
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