ゆいまーるの心で歩む 〜島民と歩み,生きていく離島医療 並木宏文(地域医療振興協会 与那国町診療所) レジデントノート2015年8月号掲載 所属はレジデントノート掲載当時のものです [SHARE] ツイート 私は,約3年前に与那国島へ代診を行った際,与那国の土地・人柄に魅了され,2014年より与那国唯一の診療所へ赴任しました. 与那国島は,日本最西端の国境の島です.昔から渡航が難しく,島言葉で“どぅなんちま(渡難島)”と呼ばれます.約70年前には人口1万人以上でしたが,戦争の激化とともにケーキ時代と言われる繁栄を終え,現在では1,500人ほどに減少,国境の島にも変化が訪れています. 与那国島はテレビドラマのDr.コトー診療所の撮影場所で知られ,ドラマ性の高い日常が流れているとみられがちです.ただ実際は,年間で8,000名の患者が訪れ,そのうち入院は0.5〜1.0%,緊急搬送は0.1〜0.2%,訪問診療・往診は120件/年と,慌ただしい日常を過ごしています.コトー先生のように船上で手術を行う医療を華々しく感じますが,島の歴史において凄腕の医療の存在は春風のように一瞬の出来事で,必要なことは他にあります. 生まれたばかりの"んくてぃ"(赤ちゃん)を抱く,笑顔のおばあ.(許可を得て掲載.) 離島医療に大事なことは,一瞬の春風を吹かせることではなく,豊かな土壌と心地よい風を住民とともにつくっていくことであり,自主性・地域文化を尊重しながら,孤立させない仕組みをつくることです.つまり,支える側は主役ではないと理解し,自立的支援をする心が大事です.幸いなことに沖縄では,沖縄全体で離島を支える仕組みが築かれており,支え合う心,「ゆいまーる」の心が根付いています. 先日,ゆいまーるの心を30年前の紹介状の中に見つけました.離島の紙カルテには“離島苦”が伝わってくる独特の雰囲気があります.離島苦とは,離島での病気での苦労・医師不在の時期での経験・日常の不安が混じった苦悩である「島民の離島苦」,1人医師にかかる重圧である「医師の離島苦」があります.離島の医師は常に離島苦と使命感と向き合っていますが,30年前の紹介状の冒頭文には,離島医師を励ますように「離島診療お疲れ様です」と書いてありました.そしてその冒頭文の励ましは,現在に至るすべての紹介状に書いてありました.私は,島には常に島を支えようとしている人がおり,沖縄にはゆいまーるの心が生き続けていると感じました. ゆいまーるの心で支えられた離島医療ですが,島の医師の役割は最適な医療を提供するだけではありません.医師だって島民,島で生活し島の時間に流されています.命のために離島医師であることを忘れてセンチメンタルに,もちろん愛情とともに,叱ることもあります.医師である前にまずは島民であること,島を愛すこと,そして住民とともに歩むこと,それが大事な役割です.島を想い,島民を想うことが,こんなに心を悩ませ,胸踊らせることとわかったのは,離島医療だからこそでしょうか.