ヒトの病気に潜む進化の記憶を探る進化医学

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進化医学 人への進化が生んだ疾患

本コンテンツでは,「実験医学」に2012年4月から全6回にわたって掲載された連載『ヒトの病気に潜む進化の記憶を探る 進化医学(井村裕夫)』より,連載 第1回と第4回を抜粋,公開いたします.ゲノムの個人差,個の医学が注目される現代,ゲノム進化の立場から医学を見つめなおす学問分野として,その重要性をさらに増している「進化医学」.ヒトの宿命と生命の原理にも迫る内容をぜひご一読ください.本連載から大幅加筆・改訂された単行本「進化医学 人への進化が生んだ疾患➡」も,好評販売中です! (編集部)

凶暴な,あるいは温厚な寄生体-1

実験医学2012年7月号掲載 連載 第4回より)

腸内細菌のゲノムは決して安定したものでなく,きわめてダイナミックに変化する.ゲノムの再構成,ゲノムの欠失,遺伝子の重複などである.また細菌では遺伝子の水平伝播は稀ではなく,接合,プラスミドを介するものの他に,ウイルス感染によってゲノムがもち込まれることも多い.ヒトの腸管には,細菌に感染するウイルスが1,000種ぐらい存在すると推定されている.こうしたウイルスを介して,病原性のある毒性遺伝子がもち込まれることもある.

一例をあげてみよう.大腸菌E. coliは通常無害で,K12株などはそれゆえさまざまな研究に使われてきた.しかしE. coliの種類はきわめて多く,そのなかには下痢性疾患,膀胱炎などを起こすものがあり,病原性大腸菌と総称される.そのなかでも,日本やアメリカで集団発生して大きな問題になったO157H7に代表される腸管出血性大腸菌感染症がある.この菌のゲノム構造はK12とはかなり異なっており,赤痢菌と同様のベロ毒素をもっていて,水平伝播によってもち込まれたものと考えられている11)

赤痢は,かつては特に小児の伝染病としてわが国でもかなり多かったが,現在では旅行者などにときどきみられるに過ぎない.その病原菌は志賀 潔によって見出され,Shigella dysenteriae(志賀菌)と命名された.現在も独立の細菌として扱われているが,ゲノムからみると大腸菌と区別できないことが明らかになっている.大腸菌はサルモネラと近縁関係にあり,共通の祖先は1億4,000万年前ぐらいに存在したという推測もある11).哺乳類が地球上に出現した頃にほぼ一致しており,恒温動物となったため,この頃急速に共生菌が増加したと考えられる.現在の大腸菌の異なる株からの推測では,1,000万~3,000万年前にE. coliは種として確立していたとみられている.哺乳類も鳥類も,恒温動物であるがゆえに多くの共生菌を体内,体表にもつことになり,それら微生物と微妙なバランスを保ちながら進化してきた.しかし前述のように細菌のゲノムはきわめてダイナミックに変化するので,ときどき病気を起こしてくる.なおO157H7は比較的新しく,段階的に変化しておよそ55,000年前頃に出現したと推測されている12)13).人間の腸内に棲息する赤痢菌や病原性大腸菌と異なり,ウシなどの家畜の腸内で繁殖するもので,O157H7はウシでは無害であったが,牧畜がはじまってからときどきヒトに感染し,重い症状をきたすようになったと考えられる.このように共生菌も,いつ変化して宿主に牙を剥くかわからない存在である.

※続きは次回 「凶暴な,あるいは温厚な寄生体-2」 でご覧いただけます.

文献

  1. Lawrence, J. G. & Ochman, H.:Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 95:9413-9417, 1998
  2. Wick, L. M. et al.:J. Bacteriol., 187:1783-1791, 2005
  3. 『Microcosm: E. coli and the New Science of Life』(Zimmer, C./著),Pantheon Books, 2008〔『大腸菌 進化のカギを握るミクロな生命体』(矢野真千子/訳),日本放送出版協会,2009〕

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人はなぜ病気になるのか? 進化に刻まれた分子記憶から病気のメカニズムに迫る
進化医学 人への進化が生んだ疾患

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プロフィール

井村 裕夫(Hiroo Imura)
1954年,京都大学医学部卒業,内科学とくに内分泌代謝学を専攻,’77年より京都大学教授,視床下部下垂体系,心血管ホルモン,膵ホルモンの研究に従事,’91年,京都大学総長に選出され,高等教育一般にかかわる.’98年,総合科学技術会議議員として,第2期科学技術基本計画の策定,科研費などの研究費の増額,新しい研究施設の整備などに努力.2004年より先端医療振興財団理事長として神戸医療産業都市構想の実現に努めると同時に,科学技術振興機構研究開発戦略センターで臨床研究の振興方策を提言,またこれからの臨床研究として先制医療の重要性を提言している.一方生命進化の過程から病気の成り立ちを考える進化医学に興味をもっている.
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