著/森田達也,田代志門
■定価2,640円(本体2,400円+税) ■A5判 ■212頁 ■医学書院
いきなりだが,パフェの話.
パフェは,デザートの王だ.
「映え」という概念が人口に膾炙する前から,味覚だけでなく視覚,触覚,とにかく全身感覚をフルに刺激する「食のインフルエンサー」として君臨し続けている.
食べるときのことを思い浮かべてほしい.
ウェハース,フルーツ,ソフトクリーム.色とりどりの食材にワクワクする.味もただ甘いだけではない.酸味,冷たさ,歯ごたえ,はじけ感,ジューシーさ,これらが短い時間に何パターンも口の中で入れ替わり立ち替わり大暴れし,しかしながら無秩序でもない.多彩な素材が舌の上で乳化し,総体として足並みが揃う.見事である.
そして,アイスの下に隠れていたクリスピーなチョコやシリアルを掘り当てたときの喜びが,これまたじわじわくる.
「まだあるのか,まだ喜べるのか」
心がざわつく.たまらない.
さて,パフェ的な医学書の話.
緩和ケア,生命倫理,社会学.
色とりどりの食材を盛り込んだなあという第一印象,そして,期待通りに複雑な味わい.
本書を再読し,(勝手に)索引項目を抽出するためにマーカーを引く手が,すぐに止まる.
あるがん患者が,「自然のもの以外を体に入れたくない」と言って,骨の痛みをがまんしようとしている.緩和ケア医は悩む.明らかに痛そうにしているのに,投薬を受け入れてくれないからだ.うーん,それでは漢方ならどうですか? 自然の素材を使っていますよ? 我ながらうまい方向に話を持っていったかなと思った次の瞬間,患者は,「薬にした時点でそれは自然ではないのです」とにべもない.
患者の希望がファーストであるという原則はわかっている.しかし,鎮痛剤1つでその苦しみが楽になるとわかっているのに,薬を勧めないわけにはいかない.緩和ケア医はひたすら悩む.
ところが倫理学者は言う.
えっ.
いや,悩むでしょ.医者なら.
あっ? えっ!? そこを悩まなくていいという発想があるのか.いや,ちょっと待ってくれ.そういうわけにはいかないのでは……?
すると倫理学者は,次にこう言う.
ここ.これ.74ページ.炸裂した! と感じたポイント.だから索引に入れておくのだ.
「医師は患者のために悩む」だけでなく,「医師自身のアイデンティティのためにも悩んでいる」ということを,医師自身が開示することは難しい.我々は利他を行ってメシを食っていると言わなければいけない職業人だ.
そこを倫理学者が突く.見事である.その言葉を引き受けて,緩和ケア医は唸りつつも,緩和ケアの目的や,緩和ケア医の存在意義についてあらためて言葉を紡ぐ.お仕着せではない,通り一遍でもない,この本のための思索だ.痛みの治療を希望しない患者に対する,医師の「あけすけな思い」を丁寧にひらく.
すると今度は,社会学者(兼倫理学者)が別角度からそれを引き取って…….
ジレンマ,グラデーション,倫理的判断,医療者の矜持,こだわり,錯覚,迷いと韜晦.落としどころを探る旅.ベテラン看護師のはっとする一言.アサヒ先生の「らしさ」.
パフェだ! これはパフェ!
緩和ケアの現場におけるもやもやとした悩みは,「クリニカルクエスチョン」と呼ぶには少々ずれている.これはクリニカルに解決すべきことなのだろうか? ライフタイムクエスチョン.クエスチョンオブヒューマンビーイング.「だから答えなんてないんだよ」も,「人の数だけ答えがあるんだよ」も,陳腐である.そういうもやもやを扱った本.
緩和ケア医は施したい.だってそういう仕事なのだから.しかし,その「施したい」すらもエゴなのだとしたら?
悩んでいるのは誰? 患者? 医者? 社会? ……学者も?
本書の構成はすばらしい.これを仕掛けたのは編集者か,著者陣か.対話形式というほど丁々発止でなく,往復書簡というほど文学寄りでもない.異なる視座から,迷いの種の1つぶ1つぶを,語っては置き,語っては置き.
人間の「患者としての側面」を引き受ける,医学.
「患者以前の,人間のスピリットの部分」を引き受ける,倫理学.
「なぜこんなジレンマが生まれてしまうのか」という構造まで見通そうとする,社会学.
なんと豪華なパフェなのだ.入れ替わり立ち替わり,脳の中で相異なる味わいが暴れ回り,マージする.
森田先生は矢印を用いた図を描くのがお好きなようで,クリスピーな模式図が食感にアクセントを与える.さらに,心のひだをなぞるような繊細なイラスト.これがまたいい.総合芸術としての医学書……いや,医療書だ.ようやく私は,理系と文系の壁を越え,人びとが焚き火の周りに集まってダイアローグ的に「医療」を語る本を知った.拍手喝采.