留学はあなたのキャリアをドラスティックに飛躍させる要素に充ちています.留学でキャリアを拓く力は,留学から先の不確実性と表裏一体に存在します.留学後のキャリアは,現在留学を考えられている方にも,留学中の方にも共通する人生をかけた命題です.その不確実性と限られたポジションの数に,多くの方が悩んでいます.そして留学から先こそが,研究に携わった者としての長いキャリアの始まりです.留学後,3年,30年と豊かに生きるために大切なものがあります.留学された諸先輩方は,どのようにそれぞれの命題と向き合い,次のキャリアステージへと進まれたのでしょうか.
こんにちは,全世界日本人研究者ネットワーク(UJA)会長を務めております,シンシナティ大学の佐々木敦朗です.本連載では,留学に興味のある大学院生や研究者に向けて,“先輩の貴重な留学体験記”を留学のステップに分けて伝えてきました.あなたの未来を変える可能性(第1回),留学のメリット・デメリット(第2回),留学への決断に大事なこと(第3回),留学先の探し方(第4回)とオファー獲得方法(第5回・第6回),そして留学中に意識すべき点(第7回).100人100様の留学体験のなかに,あなたに特に響くものがあったと思います.最終回となる今回のテーマは,留学後のキャリアパスです.
「ポスドク1万人計画」が施行された平成8年以降,余剰ポスドク問題はいたるところで指摘されてきました.現在,ポストドクターは依然1万人を超え,3人に1人は35歳を超えて高齢化していると言われています※1.ポスドク余剰問題は,世界的にも進行しています※2.誰もがアカデミアや企業のポストにつけない事実は,あなたを不安にさせるかもしれません.UJAにも「留学すると日本へ戻れなくなるのでは??」という不安の声が届いています.果たして,どのような現状なのでしょうか.
UJAの行ったアンケート(図1)では,留学を経験された134名のうち半年以内の就職活動で約74%の方が,1年では実に約86%の方がポジションを決められています.ポジションの内訳として,約36%の方は元の所属または関連施設で,残り約64%の人は新たな場所でのキャリアを始められています.ポスドク余剰問題は解決したのか?!と思うほど,実に興味深いデータです.いろいろな解釈があると思いますが,留学と直結した3点について,一緒にみてみましょう.
研究好きが高じてラボにこもるなか,就職活動を経験せず,企業について知らない方も多いと思います.私もその1人で,アカデミア以外は何も知りませんでした.ボストンで,企業の方と知り合うことで,はじめて製薬企業のもつ圧倒的な研究開発力を知りました.1つの企業がプロジェクトを動かすとき,個々のラボで10年行ってもなしえないこと(化合物探索だけでなく,着目分子の動態や生体での役割解析など)を1年かからず達成します.資金を集中投下し,組織をあげて各チームが連携してゴールへ進むこと,そのゴールは人類を救うことに直結していることを,私はまるで知りませんでした.また勤務時間,給与,保障についても,「えっ,, マジっすか」と身を乗り出して聞いてしまうほど好待遇であることを知りました.
ボストンに行くまでは,自分を活かせる場所はアカデミアしかない!研究でうまくいかなかったら,釜揚げうどん屋をすると考えていました.しかし,今では企業やNPOにおいても自分を活かせるポジションがあり,研究に携わり貢献することができると考えています.もしかすると,前記の「留学すると日本へ戻れなくなるのでは??」問題は,キャリアの多様性について本当に理解できていないことが原因の1つかもしれません.
UJAの活動で,多くの方が多様なキャリアオプションがあることや,就活のやり方を知らないことが浮き彫りになりました.UJAでは,日本学術振興会(JSPS)のフェローシップでアメリカ留学されている方を対象に,キャリアセミナーを5回行いました.優秀なJSPS研究員の方でも,日本でのアカデミアおよび企業のポジションへのアプローチの仕方,海外でどのようにすればPIになれるのか,企業へ就職できるのか,ほとんどの方は知りませんでした.いくら研究業績をあげても,余程突き抜けていないかぎり,アカデミアや企業から声はかけてくれません.この問題への処方箋は “知ること” です.あなたがキャリアオプションや就活のノウハウを知ることで,選択肢が増え,就職での成功率が高まります.UJAのウェブでは,さまざまな先輩たちのキャリアの活きた体験談を知ることができます.企業の方にもご寄稿いただいていますので,ぜひご覧ください.
2012年ノーベル生理学・医学賞を受賞された山中伸弥教授は日経ビジネス誌のインタビューで「日本人の技術者は,間違いなく世界一です.器用さ,勤勉さ,創意工夫,チームで取り組む力など,研究者として重要な素養を備えている.現在は米国にも研究室を構えているのですが,日本人は素晴らしいと痛感しています.」と仰っています.私が在籍したUCSD,ハーバード大,シンシナティ大においても,日本人ポスドクの研究能力への評価は,非常に高く嬉しくなるほどです.隠れた留学の効用の1つは,“異国で研究生活ができた” という体験を得ることです.仮にあなたが日本での就活では合格ラインに入れなくても,優秀な研究者を求める世界のジョブマーケットではトップ候補になるかもしれません.実際に,研究留学から海外でアカデミアや企業へのキャリアパスを進まれる方は沢山おられます.私の4人の友人は,日本に帰国してから,再び海外でのキャリアを進まれています.
国際化が国をあげて行われるなか,同じ能力や実績であれば,留学経験者は就職に有利に働くことは必然的に多くなると予想されます.世界の企業においても,グローバルな場で仕事ができ,かつ日本語でばっちり話ができる人材は,国をまたぐプロジェクトには欠かせません.海外留学経験はあなたの武器となり,世界のマーケットに挑戦できる強さ,すなわちセイフティーネットになります.
諸先輩方の留学体験記の共通項を,私なりに集約すると次の声が聞こえてきます.
言葉が通じず,衣食住も異なるなかでの暮らしは,生存を脅かすようなストレスと感じることがあります.実は,こうした負荷はあなたの成長を促す機会となります.留学での一連の洗礼と困難のなかで,ジョブハントに通じる次の3つの力が高まります.
怖れず面識のない方にもコンタクトすることで,新たな繋がりときっかけが生まれます.人々から助けをいただけることで,業界情報や公開前の情報も集まりやすくなり,紹介してもらうこともできます.そのなかで新たなオプションをとるケースもよくあります.うまくいかなくても,批判的反応より,建設的な行動をとれるようになります.このように,周囲からフィードバックをもらいつつ,めげずにトライすることで,多くの方々がポジションを得られています.留学で出会う困難はあなたを強くします.
古来,苦労は買ってでもするよう励行されています.逆境を次のステップのバネとされた研究者は,古今,枚挙にいとまがありません.言葉,生活,研究,論文がでない,家庭などさまざまな逆境があります.留学において,逆境遭遇率は,日本よりもかなり高いように思います.逆境をバネにされて飛躍された方を見ていると,次のような特徴があります.
喧嘩でなく話し合い.問題点の改善に向けた行動.周囲への愚痴でなく,周囲からの助けを受けている.自分で解決しにくい問題でも,周囲の力を借りることで解決することがよくあります.また応援してくれる仲間の存在は,心の大きな助けになります.
感情の切り離しは難しく,また自分の解釈と他の人の解釈はよく異なります.信頼できる方の意見をいくつか聞くことをお薦めします.
逃げずに立ち向かう.決意は,大きな力となり,見えなかった解決策へと繋がっていくことがよくあります.決意するには,「まあ,なんとかなる」,「死にはしない」などある程度の楽観性が助けになります.
独立に二様の別あり、一は有形なり、一は無形なり。
―福澤諭吉「学問のすゝめ」十六編より
留学はプロフェッショナルとなるための1つの修行期間です.私たちは語学・研究・ポジションなどを留学での具体的目標とします.その目標の根底にあるのは “独立した研究者/個人” となることだと私は思います.ここでの独立とは自分の力量で生計を立てること,そしてプロフェッショナルな自覚を持つことです.研究者の独立というと,ラボ主宰者あるいはベンチャー企業の社長をイメージしますが,実は独立は職種や職位には依存しません.むしろ,あなたの経験そして精神に依るところが大きくなります.ここに,留学を通じて修養した “異国で生きる” 体験は大きな力になります.空恐ろしかった海外での研究やトップ研究者も,実際に見てみると怖くなくなるものです.むしろ親しみを感じることでしょう.自分はどこでも仕事ができる.誰とでも話ができる.この経験と精神は,あなたが独立した研究者・個人である自覚を促します.私たちは,等しくサイエンスの元に学び,サイエンスのさらなる発展に貢献している仲間です.独立を “自覚” することで,福澤諭吉先生の次の言葉は,あなたにとり新たな意味を帯び,大きく勇気づけることでしょう.
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり。
―同初編より
福澤諭吉先生は,学問の徒である私たちへ,独立には,個人の生計レベルだけでなく,日本の独立へも力を尽くすことが大事と次の一節に記されています.
今の学者何を目的として学問に従事するや。
不覊 独立の大義を求ると云い、自主自由の権義を快復すると云うに非ずや。既に自由独立と云うときは、その字義の中に自から亦義務の考なかるべからず。独立とは一軒の家に住居して、他人へ衣食を仰がずとの義のみに非ず。こは唯内の義務なり。尚一歩を進めて外の義務を論ずれば、日本国に居て日本人たるの名を恥しめず、国中の人と共に力を尽し、この日本国をして自由独立の地位を得せしめ、始て内外の義務を終たりと云うべし。故に一軒の家に居て僅に衣食する者は、これを一家独立の主人と云うべし、未だ独立の日本人と云うべからず。―同十編より
海外から日本を俯瞰したとき,日本の良さだけでなく,世界における日本の脆さも見えてきます.アメリカの一挙手一投足を報道する日本と対象的に,アメリカのメディアは日本の動向を悲しくなるほど報道していません.また,語学やコミュニケーションにおける日本人の弱さを目の当たりにした時,私は日本の外交や,サイエンスにおける世界でのプレゼンスが大変心配になりました.私は留学することで,日本を心配する気持ちを持つようになりました.UJAの会合において,全米各地のコミュニティーの方と話しても,同じように日本のことを真剣に考えておられることを知りました.いま留学を目指している方,現在留学中の方,そして日本への思いからUJAは生まれました(本連載第1回参照).
UJAのアンケートでは,留学経験者が日本に貢献できることとして,回答の多かったものから順に「研究・教育の国際化」(約77%の方),「制度や組織の設計・改革」(約72%),「海外とのコネクション」(約68%)が挙げられています.上位2つの項目は,留学前には思いもしないことでしょう.ちなみに「最先端の研究の展開への貢献」は4番目(約46%)でした.日本への意識が高まることは,福澤諭吉先生の私たち学徒へ期する独立への原動力となります.
国連の調査によると,日本人の主観的幸福度は先進国のなかで最下位グループです※3.そして日本の内閣府の調査において,年齢とともに幸福度が低くなる結果が得られています.アメリカにおいては年齢とともに幸福度が高まる結果です※4.いろいろなファクターがあると思いますが,主観的な幸福度はあなた次第で大きく高めることができます.
内閣府の調査では,無償の社会奉仕(ボランティア)や支え合う活動は,幸福度を高めるという結果が出ています.国のための活動も同じでしょう.個人レベルでもNPOなどでの活動など,貢献にはいろいろな在り方があると思います.米国のアカデミアにおいて,助教授から准教授へ,准教授から教授への昇進の際,地域,国,そして世界へ貢献しているかが評価されます.日本においても,こうしたサイエンス以外の“課外”活動への評価は高まると私は思います.独立と貢献に意識をおくことで,あなたはより豊かで幸福なベクトルへ進むことができます※5.いろいろな貢献活動がありますが,私たちUJAもその1つです.もしUJAの活動にご興味をもたれたら,どうぞお気軽に佐々木(atsuosasakiuja◆gmail.com)またはUJA編集部メンバー (findingourway◆uja-info.org)にお知らせください(「◆」は「@」に変更).
私たち人類の文化に,自助努力の精神があります.この精神により,一人ひとりが勤勉に工夫をこらしています.しかし自助努力だけでは,私たちの遠い祖先はアフリカ大陸を出ることも,現在まで生き残ることもできなかったでしょう.私たちは,和と輪を大切にし,お互い助け合う精神を根幹に歩んできました.幕末,揺れる日本を支え占領から回避し独立へ導いた先達のなかには,渡航の経験もない方も多々おられます.海外の見聞をシェアしあうことで,たとえ留学しなくても,私たちは国際的研究者として大事なことを見極め行動することができます.大事なのは,知ること,そして伝えあうことです.福澤諭吉先生は,私たちが得た知恵を広く人々へ伝えることの大切さを,繰り返し「学問のすゝめ」で述べられています.この “和輪互助” の精神により,世界はより豊かに平和になると次のように述べられています.
人智
愈 開れば交際愈広く、交際愈広ければ人情愈和らぎ、万国公法の説に権を得て、戦争を起すこと軽率ならず、経済の議論盛にして政治商売の風を一変し、学校の制度、著書の体裁、政府の商議、議院の政談、愈改れば愈高く、その至る所の極を期すべからず。―同九編より
私たちは,先人が伝えてくださった英知と文化のもと,温かな部屋で,美味しいご飯を食べ,スポーツを楽しみ,教育と医療の恩恵を享受しています.この気づきと感謝は,次の言葉を,共感し深く受け取ることができます.
その進歩を為せし所以の本を尋れば、皆此れ古人の遺物、先進の賜なり。(中略)我輩の職務は今日この世に居り、我輩の生々したる痕跡を遺して、遠くこれを後世子孫に伝うるの一事に在り。その任亦重しと云うべし。
―同九編より
学徒としての私たちの喜びと使命は,新たな発見を世界の人々に伝え共感・共有すること,そして未来へ伝え人類へ貢献することにあります.伝えることで,繋がりが生まれます.今,あなたと私が繋がっているように,あなたは沢山の繋がりをこの世界で結ぶことができます.福澤諭吉先生の心を感じたように,あなたは時を超えて仲間と繋がっていけます.そして世界を包む無数の線を描くことができます.私たちの体験したこと,そこからの学びは未来へと生きていきます.日本を切り拓いた偉大な先輩たち.今をともにしている友人・同僚・先輩の方々.これから生まれる未来の仲間たち.私たちは繋がり,明日への一歩を歩んでいけます.
いよいよ誌面も残り僅かとなりました.まだ伝えたいことはあります.しかし,ここからはUJAの体験記リレーでの先輩たちの伝えてくださる英知と生きた経験談を通じて,あなたが学んでいくのが良いと思います.誌面の連載は終わっても,私たちのあくなきサイエンスと仲間への思いを載せたUJA留学体験記リレーはウェブ上で続きます.ご寄稿くださった方々,本当にありがとうございます.先輩たちとUJAのこの取り組みが,あなたのより豊かな研究人生へのきっかけになれば,これ以上嬉しいことはありません.私たちは,世界中から,時を超えて,心からあなたを応援しています.読んでくださりありがとうございました.
So, Let’s Live Together !
米国オハイオ州立シンシナティ大学・助教授.’95,東京理科大学卒業,’97年,広島大学大学院修士課程修了,2001年,久留米大学にて博士号〔指導教官・吉村昭彦教授〕.’02年,日本学術振興会(JSPS)特別研究員としてカリフォルニア大学サンディエゴ校のRichard Firtel博士の研究室に留学.’05年,大陸横断,JSPS海外特別研究員としてハーバード大学のLewis Cantley博士の研究室へ異動.’12年より現職.GTPエネルギーのがんと疾患における制御について新分野開拓中.家訓は「起こったことはいいことだ」.気付けば,息子18歳,娘は15歳.家族4人のドタバタ留学は続く.研究室HP
米国ミシガン大学・リサーチフェロー.2005年,広島大学医学部卒業,’07年,同大学分子病理学教室入局.’10年,広島大学大学院修了,医学博士(指導教官:安井弥教授).その後,同教室での助教を経て,’13年4月よりミシガン大学内科学のEric Fearon研究室に留学中.日本では病理医としての診断業務と並行し,胃癌の有用な診断マーカー・治療標的を探索.現在は主にマウスを使って,腸管粘膜上皮の分化・幹細胞制御,大腸がんの発癌に関する研究を進めている.
米国オハイオ州立シンシナティ大学・リサーチアシスタント.2003年,北海道大学法学部卒業,’05年,同大学院法学研究科修士課程修了.秋田大学での勤務を経て,’14年より夫の研究留学に伴いオハイオ州シンシナティで暮らす.
今井祐記(愛媛大学)/岩渕久美子(ハーバード大学)/大森晶子(パドヴァ大学)/川上聡経(ハーバード大学)/黒田垂歩(バイエル薬品株式会社)/小藤香織(シンシナティ大学)/坂本直也(ミシガン大学)/佐々木敦朗(シンシナティ大学)/髙井菜美(UJA)/高濱正吉〔アメリカ国立眼研究所/アメリカ国立衛生研究所(NIH)〕/高濱真実(UJA)/中川 草(東海大学)/西田敬二(神戸大学)/本間耕平(日本医科大学)/谷内江 望(東京大学)