樫山鉄矢,坂本 壮/編
■定価6,200円(本体6,820円+税) ■A5判 ■672頁 ■羊土社
ここ数日の私は,『ER実践ハンドブック 改訂版』(以下,「ER実践ハンドブック」)を読んでいる.
通読するにはさすがに分厚い,しんどい,終わらない.せっかくだから全部読もうかな,なんて軽い気持ちで読み始めたことをちょっとだけ後悔している.でもいい本であることは間違いない.
本書は「辞書型の医書」であり,いざと言うときに項目を「引く」ことを想定して作られた本だ.当直時にあっと思ったらサッと「引く」.病棟でおっと思ったらソッと「引く」.辞書であり,事典である.
辞書はそもそも通読するものではない.
◆ ◆ ◆
本連載の第0回で,私はこのように述べた.
その意味で,「ER実践ハンドブック」はまさに医書の王道(帯にもそう書いてある).レジデントノートの読者の中にも,すでにご購入された方は多かろう.
ハンドブック.レジデントマニュアル.ポケットブック.
まずは「辞書」から揃えるべし.勉学の基本である.なければ不安,あれば必ず役に立つ.
なお,「ER実践ハンドブック」は単なる辞書ではない.各項目に「Disposition・Follow up」として,救急対応したあとにどこにどう紹介するかが書かれていたり,「注意点・Pitfall」として,現場の知恵が付け加えられたりしている.これがかなりいい.「辞書型医書」に特有の素っ気なさ,味気なさを緩和する工夫として機能している.目配りが行き届いた良本だと思う.
それを,いったんさておき.
私はかねがね,大型書店の販売ランキングの上位に,辞書型医書ばかりが並ぶ様子を見て,
という懸念も抱いていた.辞書的な専門書ばかりが売れていく現状を,ひっくり返そうとまでは思わないにしても,もう少し「通読型医書」にも光が当たればよいのに,と思い続けてきた.
通読型医書には,辞書型医書ほどの網羅性は期待できない.しかし,そこには著者である医師たちが現場の臨床で紡いだ物語がある.医学知識を箇条書き的に配置するのではなく,流れを持ったストーリーとして描き,知識と知恵とを混成配備するもの.
そこからはじめて見えてくる,「エビデンスのナラティブ」がある.
エビデンスのナラティブなんて書くと,一見,背反しているようでぎょっとするが,「医学がそこにたどり着くに至った物語」があるのは当たり前のことだ.ナラティブは,患者のためだけのものではない.最大公約数的に均された医療だけでなく,個々にオーダーメードされた実臨床,エビデンスを実践に援用するときのコツやさじ加減みたいなものを,若き医師たちにも体験してもらえたらいいと思う.もちろん,現場で目の前の患者から学び取る経験に越したことはないが,優れた医書は,自室に居ながらにして「他者の体験」を運んでくれるものだ.
松の木を写真で見たところで,松籟までは感じ取れない.しかし,ときに優れた俳句は,葉ずれの音や,葉越しに透ける光のテクスチャまでも想起させてくれる.
「読ませる医書」にも,それだけの力がきっとあるはずなのだ.
でも,いくら私が「通読型の医書はいいぞ」と触れ回ったところで,残念ながら,研修医には一冊の教科書を通読できるほどの時間がないという悲しい現実がある.研修時代に本を全く買わない人もいる.「読んで学ぶ方の人」であったとしても,激務の合間に頓服的にさっと調べるのが精一杯という人も多い.
無理もないことだ.みんな忙しいからね.
このような問題意識から生まれたのが本企画「勝手に索引」であった.
通読型医書を,時間と余裕が有り余っていて医書に興味のある暇人(=私)が,まずはしっかり読み通す.そして,時間も余裕もないけれど勉強はしたい研修医向けに,「通読したときの雰囲気を活かした索引」を作る.
なぜ「索引」なのか? それは,「忙しい研修医でも,索引をパラパラ探して自分の興味のあるものだけを読むくらいの時間ならある」と思ったからだ.
研修医はいつものように,自分の興味がある項目を,辞書を引くように拾い読みすればよい.私の作った索引には,普通の索引には選ばれないような短文形式の項目や,疾病名でも症候名でもないけれど臨床で気になるフレーズなどを収録しておいた.きっと,辞書型医書のインデックスとはひと味違った物語が感じられることだろう.
やってきたことはYouTuber/Vtuber動画の「切り抜き」に近いかもしれない.日頃からライブ配信を追いかけている「熱心なファン」が,長時間の動画は見られないけれど興味はあるライト層向けに,推しの魅力を伝えるシーンを切り抜いて,エッセンスを保ったまま短く編集してYouTubeやTikTokなどに上げる.同じことを映画でやってしまうと,ときに違法性を指摘されて取り締まられたりもするが(いわゆるファスト映画),YouTubeの場合は配信者自身が「切り抜き動画」を認めており,むしろありがたがっているケースもある(当然ルールは存在する).
それといっしょなのだ.通読型医書の醍醐味を,まずはお試し体験してもらえればしめたもの.もちろん,いずれは自分でじっくり読んでもらいたいと思うが,それは別に,猛烈に忙しい今でなくてもかまわない.
連載で読んできた通読型医書の数は実に22冊1〜22)に及ぶ.これだけあると,研修医のたいていの疑問には答えられるようになっている.索引はすべて,羊土社のウェブデザイン部門の方々が,オンラインに保存してくれた.あらためて各回の索引を読み返すと,通読した教科書たちの「物語」が脳内再生されるようだ.我ながら,いいトピックス抽出ができたのではなかろうか.
でも,これで終わりではもったいない.せっかく無数のトピックスを拾い上げたのだ.完成した索引たちを使って,「勝手にもうひと勉強」(ひと遊び?)してみよう.
まず,これまでの索引をひとつにまとめてみる.
その名も超索引だ.
ドラゴンボールリアルタイム世代としては「索引Z」とすべきかもしれないが,ボリュームを勘案すればやはり「超」がふさわしい.総項目数5,895.立派である.
単に22冊分の索引を統合しただけだが,これでも十分,いろいろなことが見えてくる.複数の医書によってさまざまな角度から語られた「用例」が入り乱れるさまが小気味よい.
さっそく超索引で思い付くテーマを「引いて」みよう.たとえば以下は「糖尿病」の一部である.
上に取り上げた部分だけでも,6冊の教科書から,6通りの視座から語られた「糖尿病」が見てとれる.
私たちが何かに興味を持って調べたいと思うとき,複数の教科書に当たって記載を見比べるのは,別に珍しいことではなく,ありふれたやり方だ.あなたも学会発表や論文執筆,あるいは学生時代のレポート作成でも,いくつもの教科書を開いてあちこちから文章を借りてきて,自分の原稿を「組み上げた」ことがあるのではないか.
このような文献参照の仕方は,古くは「シントピカル読書」と呼ばれたらしい.何かを学ぶ際に,一つの本を精読して解決を図るのではなく,syn-topic=複数の文献を横断的・貫通的に読んで,分散したトピックスを統合しながら学びを深めるやり方だ.シン・トピカルと書くと庵野秀明みが湧く.
まあ,こんな名前を付けずとも,医学領域の疑問を検索するのに複数の書籍を見比べるのが大事なことは今さら言うまでもない.ただし,それなりの時間と労力が必要になる.
そして私は急速に気づいた.
超索引を使うと,シントピカル読書がとても手軽にできる,ということに.
「勝手に索引」は,元々「通読型書籍を楽しむための索引」として作られているから,わりと長いフレーズ,ときには二文に渡るような長い文章が項目として採用されている.その結果,索引とは言いながら,あたかも「切り取り動画」のような,各書籍のダイジェストになっている.これが「シントピカルな調べもの」にぴったりなのだ.22冊を直接調べて回るよりも早くて楽だし,普通の索引よりは情報量も含意も多い.
実際にお目にかけよう.さきほどちらっとご覧いただいた「糖尿病」を,超索引で全文検索してすべてピックアップし,解析する.
じつに記載が幅広くておもしろい.検索結果をしばらく眺めていると,22冊の通読型医書の特徴がぼんやり見えてくる.超索引で「糖尿病」を引くと,救急系の書籍ではなかなか目にしない,周術期管理や総合診療的な場面の記載が多く見られた.これは,底本として外科系や麻酔科系の医書が含まれているからである.「内科系の本だけを読んでいると,病棟で実践すべき糖尿病の知識は仕入れにくいのかもしれない」という気づきも手に入る.どことなく逆説的で,興味深い.
ここで,通読型医書との比較のために,辞書型医書の代表として『ER実践ハンドブック』を紐解いてみる.糖尿病という大項目は存在しないが,「高血糖」という項目があった.糖尿病性ケトアシドーシス(DKA)と高浸透圧高血糖状態(HHS)のマネジメントについて載っている.これだってすごく大事だよね.でも,研修医が糖尿病で知りたいことって,きっと他にもあるんじゃないか.
超索引,使えそうである.もっとさまざまな項目を検索してみよう.ショック,腹痛,肺塞栓,輸液,アレルギー.検索したい単語がどんどん思い浮かぶ.「急に」みたいな言葉を検索するのもいいかもしれない.通読型医書を,辞書型医書と対置しながら,シントピカルに楽しみつくすのだ.