本誌2015年4月号,東京城東病院 総合内科 志水太郎先生のインタビュー記事に収まりきらなかった内容を,ホームページ限定の番外編としてお届けいたします.
志水先生(以下敬称略):初期研修病院はアンマッチになりましたが,その挫折があったからこそ出会ったご縁で,後期研修病院は希望の市立堺病院の藤本卓司先生のもとに行くことができました.後期研修がはじまって,はじめて市立堺病院のカンファレンスに出たら,初期研修から市立堺病院で研修してきた同期達が,とにかくしゃべるしゃべる.私は「なんて優秀なんだ!」と衝撃でした.
ところが,1カ月くらいたってふと気づくと,元から堺病院で生え抜きの同期達は何か特別なことを言っているわけではないし,医学的知識も彼らとそう大きくは変わらないだろうということに気づきました.市立堺病院で以前から行われている医療教育文化のコンテクストで議論しているということがわかったんです.
ただ外から来た私にとっては,それがすごく目新しかっただけなのだと思いました.だから自分も市立堺病院の文化に慣れればいいだけの話じゃないかと思ったんです.それで気分はずいぶんすっきりしました.
私が行った初期研修病院は確かに教育リソースが充実しているとは言えない病院でしたけど,自分なりに一生懸命に初期研修を2年間やってきました.人気の研修病院である市立堺病院の生え抜きの同期と比べて自分が何かが劣っているかというと,別に何も劣ってはいないのかもしれないなと思いました.市立堺病院は,総合内科・感染症,フィジカル教育をしっかりやろうとしていた病院ですから,それを1つ1つ身につけて慣れたら他の人と差はないと.そもそも,他の人と比べること自体ナンセンスで,自分の成長の度合いに集中すればよいと考えるようになりました.
カンファレンスや教育回診が充実した病院に行きたかったけれど,アンマッチになって行けなかった方は,別になんの悲観もする必要はないと思います.確かに,隣の芝生は青いと羨ましく思うこともあると思います.でも“有名研修病院”などの指導医やOBの人が書いた本はたくさん出回っているので,恐らく多くのノウハウやスキル,パールみたいなものって,すでにコモディティ化されているんですよ.
太田先生:確かにそうですね.ぜんぶ本に書いてありますね.
志水:私はもう全くないのですが,有名研修病院に行きたくても行けなかった人って独特のコンプレックスみたいなものってあると思うんですよ.でも,それはもはや幻影にすぎないと私は思っています.その研修で得られる思考・知識さえ,これだけたくさんのメディアやたくさんの教育リソースの形で共有化されていますからね.
志水先生(以下敬称略):太田先生は今,離島で一人で頑張っていますよね.離島に行くということは,自分の群れを離れて自分一人の力でやるということです.もちろん不安になると思うし,すごい重圧だと思いますが,その点はどう克服したのですか.
太田先生(以下敬称略):私が離島に行く直前に志水先生に会いに行きましたよね.なぜかというと,やはりこのまま離島に行って,成長できるのかどうかという不安が非常にありました.離島に行ったら誰も私の医療をみないんですよね.患者さんと私と一対一の付き合いが2年間以上続くなかで,どのように自分を成長させていくか,一抹の不安がありました.なので,学生時代からいろいろとご指導いただいていた志水先生にちょっと相談に行こうと思いました.そして志水先生の努力されている姿をちょっと見せていただきたかったんです.その姿が私の励みになるかなと思って.
当時,志水先生がいらした練馬光が丘病院に行ったら,案の定,すごかったです.私の知らない新しいことがたくさんありました.それがすごく刺激になりました.「ここに来たら刺激をもらえる」ということが,私はうれしかったです.私は自分で自分自身をうまく高められないのですが,志水先生との繋がりやいろんな人との繋がりで成長できるっていうのを実感させていただきました.
志水:人との出会いと繋がりはとても大事ですよね.
太田:今日のこのインタビューでも,志水先生が出会ってきた,たくさんの先生のお名前を伺いました.私にも本当にたくさん出会いがありました.だから,私もこれでいいんだなと思いました.志水先生も人との繋がりのなかで成長されている.私のなかでもやはりそれがあるのかなというのを,改めて振り返ることができました.今日は,すごく私のためになったインタビューです.本当にありがたいなと思います.
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