長澤 将/著
■定価4,180円(本体3,800円+税10%) ■A5 ■256頁 ■中外医学社
我々はエビデンス・ベースト・メディスンの申し子であるが,ベース(基礎)にエビデンスを敷き詰めるのは前提として,その上にナラティブの伽藍を立てなければメディスン(医療)という巨大建築は完成しない.現場で働く医師たちは,堅牢な基礎の上にそれぞれ固有の柱を立て,壁や屋根,窓をデザインし,門戸を開放して医業を為している.その設計理念を,先輩の口から直接聞くことには大きな意味があるだろう.やれ遠隔ICUだ,オンライン学会だ,医療メタバースだとかまびすしい昨今にあっても,やっぱり「現場の語り」って強いと思うのよ.達人の口伝から得られる情報の密度は濃い.どれだけ研修コースがプログラム化され均霑化されても,優れた指導医に付けるかどうかが研修医のその後を左右することはある.オーベン制度には替えの効かない魅力があるのだ.
では,良い指導医といかにして出会うか?
指導医マッチングアプリがあったら便利だな,などと妄想を膨らませつつ,自分の冷静な部分が,この狭い世の中で完璧にマッチする指導医を探し当てるのは大変なことだぞと冷たくささやく.理想のボスと巡り会えるかどうかは運まかせだ.ならば自然と,医学書によって指導医成分の一部を補完するとよいのではないかという発想になる.医学書は,リアルの指導医からは摂取しきれないある種の「栄養」を補うサプリメントなのである.
何を当たり前のことを面倒くさく語っているのか……といぶかしむ人もいるだろうが,私の経験上,一定数の若い医者はここで,「えっ本は本でしょ,指導医は指導医ジャン」とびっくりするのである.びっくりした人に向けて話を続けたい.
本は本,指導医は指導医,とばっさり割り切ってしまうあなたは,おそらく,医学書はもっぱら基礎のエビデンスの部分を明らかにするものであって,エビデンスの上にそびえ立つ主治医のナラティブについては守備範囲外だと思い込んでいるのではないか? たしかに,医学書を買う際,「質の高いエビデンスが豊富で使える」とか「最新の文献が網羅されていてすばらしい」などのレビューを目にすることはある.しかし,医学書がお堅いマニュアルやガイドラインばかりだと思っているならば,それはちょっと狭量である.
たとえばかつてこの連載で読んできた『小児科医宮本先生,ちょっと教えてください!』1)や,『ストーリーで身につく外科センス』2)のように,著者達の個性溢れるカテドラルを堪能できる医学書があることを見逃してはならない.「一級ナラティブ建築士」たちに紙面を通じて師事できることこそ,医書読みの醍醐味ではないか.
というわけで,今回紹介する『Dr.長澤の腎臓内科外来実況中継』も,大聖堂のような緻密な臨床知を味わえる名著である.試しに読んでみると良い,私は楽しく読んだぞ.さあ,今回の「勝手に索引」を見ていただこう.本稿では,索引の一部を抜き出しながら解説する.Webでは索引の完全版を公開.QRコードからぜひアクセスしてみてほしい.
最初に強調しておくと,この本は,common diseaseに対するコメントが美しい.血液生化学的な内科診療を語らせれば腎臓内科医の視点はピカイチであるし,たとえば上記のように,糖尿病の患者の「さじ加減に直結する診かた」などにも唸らされる.なるほどそんなピットフォールを意識して診療するのか…….細かい表現から漂う手練れ感.
腎臓内科医が書いた本だからと言って,「腎臓内科的スコアリングシステム」や,「腎臓関連処方」ばかりが記載されていたら,さすがに研修医の食指は動かないだろう.でも本書には,どんな科に勤める医師にとっても使いやすい情報が満載だ.調味料に例えるならば麵つゆみたいな本.汎用性が高く,何にかけても味がまとまる.具体的な例をどんどん見て行こう.
「この先,腎臓内科に紹介する可能性がある,高血圧でフォロー中の患者」にどう説明するか,という話である.最初に患者を診た医師が,あらかじめ患者にこのように伝えておけば,後で血圧コントロールが悪くなったときに腎臓内科への紹介受診がスムーズになるだろう.こういう外来技術をリアルの指導医から教わろうと思ったら,外来にずっとくっついて見ているしかないわけで,相性にも運にも左右されるから,そう簡単には行かない.医書サプリの面目躍如と言ったところだ.
減塩が必要な患者に食べものの説明をする際,焼きそばや煮物を避けるようにアドバイスするといいというのを,私は知らなかった.焼きそばが塩分調整にあまりよくない理由は,「汁を残せない(微調整ができない)から」なんだってさ(知ってました?).また,煮物より焼き魚,焼き魚より刺身のほうが,表面の味付けを薄くできるから減塩には向いているのだという.そして味付けするなら麵つゆ……じゃなくて,「アレ」がいいらしい.元々は京都の料亭で開発された調味料だ.へえー,なるほどなあ.これ以上のネタバレは興を削ぐので,詳しくは本書を読むといい.
生活指導に関する本書の言及は非常に多彩,かつ明快である.読んでいて飽きない.一方で,こんな話も出てくるから思わず身が引き締まる.
ハイライトした部分は,「アタマに入っていないと見逃す病気」というサブタイトルのついた第24項での一節である.「抗菌薬に反応しない肺炎で採血フォローしたらCrが上がっていて……」さあ,これ,どういうタイプの病気かわかる? 本文にはわざわざ,「これらの病気を一発で診断することはできません」とある.複数のクリニックを経て採血された段階でようやく見つかる,とも書いてある.プレゼンテーション的には「こじらせた風邪」,しかし実際には…….
このような疾病を私は「物語感が強い」と表現する.患者も医者も翻弄されがちなある種の病気を理解しようと思うとき,時間軸を考慮した「語り」がうまい文章に触れると,学習効率が上がる.私見だけど.
「腎機能」周囲の項目はどれも「本丸」という感じがビンビン伝わってくる.腎機能による薬剤の調整に関するニュアンス,腎機能異常を合併する患者の手術についてのコメント,腎硬化症の臨床病像の出方,そして極めつけは,
これは殺し文句だ.
さらに,ややマニアックな話になるけれど(いつもか?),私は次のような記載がある本書を「偏愛」する.
「RAA系に関しては,腎臓内科の意見よりも循環器内科の意見を優先してください」. これは「境界部分を扱う思考」である,ベン図で言うと,重なっている領域の話だ.専門性の辺縁.ここに言及している本は例外なく強い.オーラが違うというか.
我々医師は科ごとに分類されている.疾病も細かく分類されているから当然だ.しかし,患者の病態とはときにシークエンシャルで,クリアカットにどこかの棚に放り込むことができないこともある(國松淳和先生はここを「ニッチ」と呼んでいた).ともすれば「臨床科どうしの押し付け合い」になってしまいがちで,あるいは逆に,自分の専門知識だけでなんとかしようとしていつの間にか領分を超えてしまっていることもある.
臨床における重力場のスキマのような場所では,さまざまな外力が複雑に作用していて,安定する点を見定めるのが難しい.ときに自分が前に出て,あるいは逆に後ろに下がって,という微調整をこなせる医師は間違いなく一流だ.「ここは循環器内科医の意見で通したほうが,臨床がうまく回りますよ」というアドバイスを,本に書こうと考え付く発想が尊い.臨床の流れをよくわかっているからこそ書ける内容だ.二流の著者ほど「自分がやれることだけで紙面を埋めようとする」.ウッ,額に屈曲した投擲武器がブッスリ刺さった感触がある.
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最後に一つ.マンガ『ONE PIECE』に出てくる喫煙するキャラクタというと,あなたは誰を思い浮かべるだろうか.コック? モクモクの実? まあそのあたりが普通の反応だと思うのだけれど(あるいは全く読んでいない人も多いのだろうな),長澤先生は文中で猛烈にリストアップしているので笑ってしまった.こういう列挙能力は,腎臓内科医っていうか,「超有能な総合診療医」のペルソナだよな.普通そこで,マザー・カルメルはなかなか出てこないよ.