第18回「論文の読み方で勝手に索引!」誌面掲載全文|Dr.ヤンデルの 勝手に索引作ります!

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論文の読み方で勝手に索引!(前編)

定価3,960円(本体3,600円+税10%) A5判 310頁 羊土社

僕らはまだ、臨床研究論文の本当の読み方を知らない。

定価4,180円(本体3,800円+税10%) B5判 198頁 羊土社

短期集中!オオサンショウウオ先生の医療統計セミナー 論文読解レベルアップ30

最初にお断りしておくと,今回の話は次回とあわせて「前・後編」でお送りする.本日の「前編」は長めの前置きにあたる.少々お付き合いいただきたい.

* * *

先日,私は北海道外へ出張した.感染症の猛威が嘘のように凪いだタイミングを見計らって,某学会の現地会場に参加したのだ.私はそこに講師として招かれ,久々に「Zoomではない講演」をすることになった.オンラインではない学会に参加するのはじつに1年10カ月ぶりのことであった.別にオンラインで良かったのに,と思いながらも,つい心が沸き立ってしまうので,不思議だ.

空港から新幹線に乗り継いで,某駅に降り立ったのが正午過ぎ.駅直結のコンベンションセンターで開催されている学会は,プログラムによるとちょうど昼の休憩時間であった.私は学会場に直行せず,先に腹ごしらえを済ませるべく,駅構内の飲食店に入った.

壁際のテーブル席に一人で通された.一つ隣には,スーツにネクタイの男が二人.ちらりと胸元を見ると,学会の参加証がぶら下がっている.ああ,彼らも学会に参加するために遠方からやってきたのだなと察しがついた.年齢差があり,おそらくは指導医と専攻医なのだろう.

ランチセットを頼んで,しばし待つ.隣席の会話が耳に入る.

「そろそろ,論文書くか.今日出すネタなんかちょうどいいだろう.でも最初はなァ,俺が代わりに書いてやるよ.どこかで教授になりたいとかならともかく,そうじゃないなら,そこら辺の医者と同じ程度の業績でいいなら,俺が書いたほうが早い」

べらんめぇ気味の指導医がそう言った.面倒見のよさそうな上司にも思えるが,論文を代わりに書いてやるよ,などというマウントの取り方は正直,あまり上品とは言えない.若手はなんと答えるのだろう.

「いえ……できれば……自分で書かせてください,がんばりますので」

若手は背筋を伸ばして答えた.思わず,いいぞ,と応援してしまう.ここでもし,「マジすか,じゃあボスが書いてください」などとバカ正直に答えようものなら,マウンテンゴリラのような威圧感の指導医の機嫌は悪くなりそうであった.

指導医はマスクの奥で何か短く返事をした.

そしていきなり店員を指先で呼びつけて,「ビール」と短く伝えた.まだ昼だし学会ははじまったばかりだというのに.思わず盗み見ると,すでに二人ともビアグラスを手元に置いていた.ただし若い方はぜんぜん口を付けていなかった,当然,午後もしっかり勉強する気なのだろう.

一方の指導医はマスクをずらしてグラスをあおり,意外と几帳面にまたマスクを元に戻してから,言った.

「しかしお前,自分で書くのはいい心がけだけど,論文のこと,ちゃんと知ってるのか?」

すると,若手は答えた.

「その,お手本がたくさんありますので……

私は感心した.マウント取りたがりの上司に向かって,自分が勉強していることをダイレクトに誇示すると,イヤミに聞こえてトラブルを招きがちだ.しかしこの返し方なら,カドも立つまい.若手の本意は「学会発表時に引用した論文がいっぱいあるから,それらを見れば書ける」ということだろうが,聞きようによっては「すばらしいボスの書いたお手本があるから大丈夫だ」という意味にもとれる.絶妙である.

指導医は少しのけぞって,ややうれしそうに,でも少しもったいぶって,間をとって,言う.

「そうか? そうだな,まあな.……でもなあ,お手本だけってわけにもいかないだろう,だいたいお前,その,たとえばだな……」

ぼくも若手も覚悟して,次の言葉を待つ.きっと次のセリフに対して,若手は「いえ,知りませんでした.やっぱり自分では無理そうです.生意気言ってすみません,ご指導ください」と答えることになるだろう,なぜなら,そうしないと問答はいつまでも続いてしまうからだ.私と若手が指導医によるオーバーキルを覚悟した次の瞬間,指導医はテーブルに肘を突きながら若手に指を向けて,低い声で言った.

「たとえば,acknowledgementをどう書くか,知ってるか?」

「あっ,いえ,アクナレッジメント,その,あの……」

若手が心情的にずっこけたのがわかった.私は噴き出しそうになった.

Acknowledgementは,論文の末尾の謝辞に過ぎない.いくらなんでも,論文の書き方のイロハとしてはネタが小さすぎる.若手は固まってしまった.ゴリラ先生のドラミングがあまりにも小さな音色すぎて,萎縮するどころか唖然としている.

私はぷるぷると小さく痙攣しながら,運ばれてきたランチを5分で黙食して,彼らより先に席を立った.若手に同情しながら,学会場へ早足で歩き始めた私は,しかし,だんだんと考えを改めていくことになる.

* * *

たとえば,仮の話として,私が若手に論文を指導するとしたら,あのタイミングで何を言ったろうか? 考えれば考えるほど,「○○って知ってる?」と言っている自分の姿が脳裏に浮かんでしまう.要は,私も件の指導医と大差ないのである.いきなりのacknowledgementには笑ってしまったけれども,もしこれが「コホートって知ってるか?」「非劣性試験って知ってるか?」「脱落バイアスって知ってるか?」であったとしても,本質的には同じことであろう.

例の指導医も私も,日ごろから論文を読んだり書いたりして,「自分のため」に論文を役に立ててはいる.しかし,いざ若い人たちに何かを教えようと思うと,単語レベルでしか指導をできない.そのことにじわりと気づいた私は,もはや例の指導医をとやかく言える立場ではなかった.

例の指導医がこれまでやってきたであろう指導方法のことを思う.

「若手には論文を書くための事務・雑用をやってもらうけれど,いざとなったら自分で全部書き直し,彼我の差分をとって実力差を見せてマウントを取りながら,俺を目指せと指導する」.こう書くとひどいものだが,実際我々のような「現場型の指導医」にとっては,そこそこ一般的であることも事実だ.身の回りで見聞きしてきた実例をいくつも思い出して,さらに暗澹たる気持ちになる.

まったく,何だろう,この前時代的な,「背中で覚えろ」的な指導は…….令和も4年目に入ったというのに,いまだにそんな教育方法しか持っていないのだろうか.

* * *

我々は,良くも悪くも徒弟制度の中を生き延びてきた世代である.臨床の知識も,論文の書き方や読み方も,とりあえずビールならぬ「とりあえずボスの受け売り」で勉強をはじめた.

それはひとえに,所属先の上司以外に教えてくれる「師匠」がほとんどいなかったからだ.

私がかけ出しの頃は,インターネットはさほど発達していなかった……いや,まあ,インターネットそのものはあったけれど,若手が医療現場の高度な知恵を得るのに親切な場所とは全く言えなかった.PubMedはあっても,その使い方を教えてくれるサイトがなかった.慣れない英語に右往左往しながら,なんとか探していた内容が書いていそうなタイトルの論文を見つけたはいいが,それがletterだということに気づかず,なぜabstractがないんだろうと途方に暮れる,なんていうこともあった.

ネットが役に立たない以上,頼るべきは身近な先輩 or 入門書の二択となる.しかし,「良い本」と出会う方法がそもそも指導医経由だったりするので,事実上は一択だったと言っていい.そう,「ボス」しかなかった.どんなボスであろうと,必死で後をついていって,勉強できそうなところをどんどん盗んで覚えていった.

そのようなやり方が通用する領域もあるが,それではなかなか知識が伸びないジャンルというのもある.

それが何かというと,臨床研究であり,医療統計なのだと,私は思っている.

私の「引け目」のようなものがうっすらと浮かんでくる.毎日論文を読み,さほど多いとは言えないまでもそれなりに論文を書いてきたが,今もなお,臨床研究や医療統計に関しては,自分の持っている知識で必要十分なのかどうか,自信が無い.「ちゃんと系統立てて教わってないからなあ……」という思いがある.

* * *

私とゴリラ先生はおそらく同類だ.学会の出張先で,頼んでやったビールに口も付けず,午後も学会で勉強します,さらにはこれから自分で論文を書きますとキラキラした目でまっすぐアピールしてくる有望株を前に,臨床研究のノウハウを教える流れに追い込まれようものなら,あわてて虚勢を張って,「あれだ,あれ,アクナレッジメント,知ってっか」と時間稼ぎをするしかないメンターの気持ちが,けっこう,わかってしまう.自分の中にある我流の経験の蓄積を,そのまま教育の場面で若手に託すことに,躊躇がある.

似たような場面は,きっと今日も津々浦々で展開されているだろう.若手医師が電子カルテとにらめっこしてExcelにまとめた症例の統計処理をするとき,指導医が「俺がわかるのはこのやり方だけだから」と,EZRの使うべきボタンを順番に指示して指導を終えている光景.巨大なシンポジウムの指定演題で込み入った臨床研究を堂々と発表し終えた若い医者が,フロアからの「素人質問で恐縮ですが……」からはじまる統計手法への質問に一つも答えられず,フロアの指導医が若手をさえぎって延々と答えている姿.いずれの指導医も,わかっていないわけじゃない.しかし,うまく教えられていない.

近年になって,東京大学や京都大学のschool of public health (SPH)の人気がうなぎ登りである理由も理解できる.たぶん,私たち指導医の9割9分は,臨床研究論文の本当の読み方を知らないままここまでやってきたし,臨床研究・メタアナリシス・疫学研究の方法論とその原理を完全に理解して使っているとも言いがたい.それをうすうす感じとっている熱心な若手は,まだ全国でも数少ない「プロ中のプロ」に教わるために,県境を越えてSPHの門を叩くし,そこまでできない若手は今日も,指導医の機嫌をとりながら途方に暮れるのだ.

* * *

学会場をうろつき,シンポジウムの次演者席に落ち着いたところでスマホを見ると,「勝手に索引!」の担当編集であるスーさんから連絡が入った.次の「お題本」の索引整理が終わったとのこと.この日,スーさんがExcelファイルにまとめてくれたのは,2冊だ.

『僕らはまだ、臨床研究論文の本当の読み方を知らない。』
『オオサンショウウオ先生の医療統計セミナー 論文読解レベルアップ30』

そう,今回のお題本のテーマは,まさに,臨床研究や論文の読み方,そして医療統計だったのである.出来過ぎなくらいにタイミングが良い.

基本的に1ジャンル1冊ずつ選書してやってきたこの企画で,臨床研究や医療統計に関する教科書だけは,2冊選んであった.索引項目の抽出も2冊ほぼ同時に行った.これもひとえに,「このジャンルに対する潜在的な苦手意識」の為せるワザであった.さあ,2冊をどうやって読み解こうか.普通に考えて,1冊1回で,2回分の原稿を書けばいいのだが,このときの私は瞬間的にこう考えた.

「そうだ,ゴリラ先生のことを書こう.」

2回分の原稿は書くが,前編はあの駅で出会った二人の話で埋め尽くそう.それがいいだろう.ナゾの確信があった.理由? それはおそらく,「私の,そして指導医たちの引け目」を,若手の皆さんにもきちんと見せておきたいと思ったからだ.

その上で,後編では,臨床研究や医療統計を本で学ぶことの本質を,より深く見極める.

私は,今や心の友となりつつあるゴリラ先生に脳内でなぐさめの言葉をかけた.しょうがないよ,俺たちはそうやって育ったんだもの.でも,まず俺たちが,もっと勉強しよう.なあに,このくだりはきっちりレジデントノートに書いて供養しておくからさ.

さあ,シンポジウムがはじまる.私は演台に上がりながら,セッションが終わったらすぐにこの連載の原稿を書いてしまおうと,心に決めた.おかげさまで帰りの新幹線で書けた.ゴリラ先生,ありがとう.

第18回「論文の読み方で勝手に索引!」誌面掲載全文|Dr.ヤンデルの 勝手に索引作ります!

文 献

  1. 『僕らはまだ、臨床研究論文の本当の読み方を知らない。』(後藤匡啓/著,長谷川耕平/監),羊土社,2021
  2. 『短期集中!オオサンショウウオ先生の医療統計セミナー 論文読解レベルアップ30』(田中司朗, 田中佐智子/著),羊土社,2016

著者プロフィール

市原 真(Shin Ichihara)
JA北海道厚生連 札幌厚生病院病理診断科 主任部長
twitter:
@Dr_yandel
略  歴:
2003年 北海道大学医学部卒業,2007年3月 北海道大学大学院医学研究科 分子細胞病理学博士課程修了・医学博士
所属学会:
日本病理学会(病理専門医,病理専門医研修指導医,学術評議員・社会への情報発信委員会委員),日本臨床細胞学会(細胞診専門医),日本臨床検査医学会(臨床検査管理医),日本超音波医学会(キャリア支援・ダイバーシティ推進委員会WG),日本デジタルパソロジー研究会(広報委員長)
本記事の関連書籍

僕らはまだ、臨床研究論文の本当の読み方を知らない。

後藤匡啓/著,長谷川耕平/監

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田中司朗,田中佐智子/著