尾久守侑/著内田裕之,國松淳和/監修
■定価3,960円(本体3,600円+税10%) ■A5判 ■190頁 ■金芳堂
ようーし,明るく楽しく第7回.ここまで,集中治療(内分泌・消化器),循環器(心エコー),外科(手技とセンス),外科(病棟技術),内科診断(腹痛のメカニズム),女性医療(産婦人科ほか)と,そうそうたるジャンルの通読型書籍をお迎えして,「勝手に索引」を作りながら爆走してきた本連載も,復路に突入する頃合いだ.
満を持して,精神科医・尾久守侑先生の名著を読もうではないか.
「えっ……ここで精神科?」などと怯む読者もいるかもしれないが,落ち着いてタイトルをよく読んでほしい.本書は精神科の本ではない.「精神症状から,身体疾患を見抜く」.日本語特有の「主語の省略」によって一瞬だまされそうになるものの,身体疾患を見抜くのは誰の仕事だろうかと考えればピンとくる.
本書が対象とする読者は内科医であり,プライマリ医である.研修医からベテランドクターまで,「精神のことは精神科医にコールして済ませたいなあ……」と弱気な医者のための本なのだ.レジオネラ感染症,副腎クリーゼ,糖尿病性ケトアシドーシス,スピロノラクトンによる薬剤性SIADH,抗NDMA脳炎…….ほら,内科のど真ん中である.
さあ,今回の「勝手に索引」を見ていただこう.いつものように,Webでは完全版を公開.今回も私と編集者スーさん(あだ名)の力作なので,QRコードからぜひアクセスしてみてほしい.狂気すら感じられること請け合いである.本稿では,その中の一部を抜き出して説明する.
読み手の脳を文章に集中させるための仕掛けがファニーな本だ.「なっ,なになに,今なんて?」と,環椎・軸椎をグルングルン回して二度見も三度見もしてしまう.
ちなみに索引①で示した「状況」とは,脳波を勉強するときの話だ(笑).わかりみが大脳基底核より深い.ズバリ言い切ったなあ.そして,極めて効果的な一文でもある.別に単なる脳波ディスではない.
「羅列すれば著述したことになる」と勘違いした医書執筆者があふれかえる昨今,尾久先生は脳波のノウハウ(シャレです)をダラダラ書き連ねることをせず,秘孔を突くかのような一撃で読者の興味を惹く.つい振り向いてしまった私は,「だったら著者は脳波をどうやって勉強しているんだよ」と,微量の不信感と大きな期待感をまとった内的衝動を引き出され,以降の読書がはかどるという寸法.うまいなー.
とかく本書は飽きない.ホスピタリティのカタマリだ.マスターベーション的名文ではなく,ゲームマスター的名文とでも言えば伝わるだろうか.プレイヤーと場を一緒に盛り上げてくれるような文体.完全索引のどこを眺めても,「うまいなー」の花が咲き乱れる.
「重要なのはもっと手前の,この質問をしようと思うかどうか」なんてのは,おそらくある程度経験を積んだ内科医であれば,「あるある! あるある!!」とレゲエDJのように首肯するに違いない.まったくおっしゃる通りである.「外来でこの質問をしましょう」だけでは足りないんだ.どうやったらその質問をしようと思いつけるかが大事なんだ.
「しらすの目が怖い」もぎょっとするよね.知覚変容の一例として強烈なインパクトを持つ.一度読んだら忘れまい.
そして,てんかんの項目の「焦点から火打ち石のようにパチッ,パチッと出現することがあり(実際に音はしません)」に到っては……思わず「知っとるわ」とツッコミながらも……前後に実践的で読み飛ばしてしまいそうな文章がある中にこの「パチッ,パチッ」が飛び込んでくることで,複雑なモビールを重心一箇所で持ち上げるかのように,段落全体がクルクル輝いて私の心に届く.なんて上手な構成なんだ.尾久先生,さすがプロの詩人である(本当です).
文章力や構成力の話だけで今回の原稿を仕上げてもいいくらいなのだけれど,そろそろ内容に切り込んで行こう.
本書のタイトルからビンビンに伝わってくる,「一見すると精神科マターかなと思うけど,じつは内科でなんとかすべき疾患を見抜け」というメッセージは,まあそうだろうなと誰もが納得するところだ.ただしここには,読む前と読んだ後での圧倒的な解像度の違いみたいなものがある.
具体的に,日常の救急外来で経験する精神科マターっぽい内科案件といえば何だろう,と考えてみよう.私などは,「代謝・内分泌疾患に伴う意識障害とか,SLEの精神症状とか,薬剤によるものとか,そのへんかな」くらいのザコい把握をしているわけだが,尾久先生はまずこの「意識障害」という言葉について線引きを行う.
うんうん,私もそう思っていたよ……あ,あれ? 意識混濁? 意識障害じゃないの?
続いて,すぐ次の一文.
ここでようやく登場するのが意識障害.あれっ,とここでいきなり驚いた.私はこの時点でもう,ズレている.
私が普段,意識障害と漠然と認識しているものは,正確に言えば意識混濁なのであった.実際の患者を前にするとき,意識混濁まで行っていなくても,簡単な暗算ができない,言葉を言い間違えるなどがあれば意識障害を念頭においてよいということ.……何をごちゃごちゃ言っているんだと冷めつつある読者諸氏は,ぜひもう一度心を温め直してほしい.前提がずれていたら結論が再現されるわけがない.再現されなければ科学ではない.「一見すると精神科マターかなと思うけど」の「一見すると」がずれてしまっては,内科案件を抽出する以前の問題ではないか.
ここにはおそらく,医書を用いずに医学を学ぶ場合のピットフォールが隠れている.現場百遍で身についたゲシュタルトは確かに診断において強い効力をもつのだけれど,言葉の定義を曖昧にしたまま臨床を駆動させていると,他者が用いた含みの多いクリニカル・パールを正しく自分にアドオンできない.「意識障害をみたら身体因を疑え」なんてわかってるよ,とうそぶくのは結構だが,「意識障害とはなんなのか」に経験則のみで向き合って,微妙な解像度のまま患者を相手していては,せっかくの臨床知も効果半減である.
「そうか,そこも意識障害に入るのか」
丁寧に言葉を用いる著者が著した医学書を,頭からお尻まで読むことで,私たちの頭の中にある「医学地図」に,ぼんやりと国境線が引かれていく.ここまでがA国だからね.この半島もA国に含まれるんだからね.こっちの川から向こうは,B国だからね…….
この「切り分け」こそが本書を,そして優れた医書を通読する醍醐味であると思う.もちろん,切り分けは言うほど簡単な作業ではない.そもそもあらゆる内科系医師は,元気で働いている限り,無限に「ここからここまで,と切り取ること」をやっていかなければならないわけで.
ある疾患概念と,その隣にある別の疾患概念とは,必ずしもクリアカットに分けられるわけではなく相互に移行してグラデーションになっている.また,異なる疾患AとBとがオーバーラップしているケースも多々ある.リングで止めた単語帳を用いての一問一答では対処できない,生身の臨床にまごまごする私たち.そこに尾久先生が用いるナイフ……「切り取る」という短いフレーズが本書をぐっと引き締める.
「切り取る」! そうなんだ,ぼくらは医書でそれを知りたいんだ.意識障害を正しく切り取ることこそ,内科医として落としてはいけない「精神症状」を見分けるカギだよな.
そして,直ちに浴びせかけられる冷や水.
はい,すみません…….まったくだ.しっかりした言葉で定義を固めることができたら,ようやく,臨床のタペストリーの複雑さが本当の意味で体感できるようになる.ベテランも頭を悩ませる内科の命題に取り組む資格が得られる.
切り取れ,切り取れ,そしてなお曖昧の中に立って見渡すのだ.
本書は極めて優れた内科学書である.冒頭のくり返しになるが,完全索引を見てみてほしい.少なくとも私は,まだこれほどまでに「切り分けられないもの」があるのかと,愕然としたほどである.