トイレや調理場で排水口のつまりをなおすために棒の先にゴムの吸引機が付いた道具がありますよね.私はあの道具の名前を知らなかったのですが,「ラバーカップ」というそうです.英語ではPlungerといいますが,このラバーカップを用いて心肺蘇生を行った人がいます1).
狭心症発作をくり返していた65歳のイラン人男性が,ある日の夕食後にテレビを家族で見ていたとき,急に倒れて反応がなくなり呼吸も脈もなくなりました.彼の息子はほとんど心肺蘇生のトレーニングを受けていなかったのですが,母親が半年前にトイレ掃除でラバーカップを使っていたのを思い出し,救急隊が来るまでの10分の間,必死に胸にラバーカップを押し当てて上下運動をくり返したところ,救急隊が接触したときには体動や自発呼吸がみられ,そのあと心臓カテーテルを受けて生還したと報告されています.これを契機にサンフランシスコ総合病院の心臓センターにはベッドサイドにこのラバーカップが置かれるようになったという都市伝説もあります1).
これは,胸に吸盤を付けて胸壁を持ち上げることで胸腔内がより陰圧になり,心臓に戻ってくる血液が増加して胸骨圧迫の効果が上がったためだと考えられます.胸壁を挙上することで,肺が膨らみ呼吸もサポートするという説がある一方で,肺に空気が入るので肺に血液がトラップされ静脈還流が悪くなるというマイナスの効果もあるといわれており,今はあまり話題にならなくなりました2).
もう30年近く前ですが私が研修医のころは今のようにAEDが普及しておらず,心室細動に対しては胸をバーンと叩く「前胸部叩打法」という乱暴な心肺蘇生術を教えられました3).このように,心肺蘇生の方法1つとっても今までさまざまな方法が検討されてきました.ガイドラインも数年ごとに改訂され続けた結果,今の方法に至っているのは感慨深いものがあります.
ちなみにトイレは心肺停止が起きやすい場所で,院外心停止の約5〜10%はトイレで起きています.寒い季節に起きることが多く,トイレは閉鎖空間であるため発見や救出が遅れ,AEDはわずか0.4%しか行われないため,社会復帰できる可能性は一般の心停止よりかなり低いといわれています4).