皆さんご存知の「血液脳関門」は検問所のような役割をしていて,脳と血管の物質の行き来を管理しています.一方,鼻粘膜に存在する嗅神経は直接脳とつながっており,この鼻粘膜から脳への経路では検問にかかることなく,さまざまなタンパク質やウイルスが中枢神経系に入っていく近道になります.つまり,中枢神経への直接的な薬の投与経路として考えられるわけで,さかんに経鼻投与の研究が行われています.
嗅神経はCOVID-19 の原因ウイルスであるSARS-CoV-2が脳に到達する経路の1つとしても考えられています.COVID-19で死亡した33人の患者の鼻咽頭と脳を調べてみると,SARS-CoV-2スパイクタンパク質が鼻粘膜層内の細胞と嗅覚ニューロン,匂いや味覚の信号を受けとる脳領域でもみられ,SARS-CoV-2が嗅神経を介して中枢神経に侵入する可能性が示されました1).
さらに,ブラジルにあるカンピーナス州立大学を中心とした研究チームは,COVID-19で死亡した患者26人の脳試料を分析し,SARS-CoV-2は脳内に存在するグリア細胞の1つであるAstrocyte(星状細胞)に感染していたことを突き止めました2).星状細胞はニューロンに栄養を供給してその機能を維持する重要な役割を果たしますが,SARS-CoV-2の感染により,嗅覚消失,味覚消失,頭痛,疲労,吐き気といった神経症状を引き起こし,うつ状態やいわゆる「霧がかかったような」といわれるLong COVIDの症状に深く関係しているのではないかといわれています.
おもしろいことに,マウスの鼻腔に肺炎クラミジア(Chlamydia pneumoniae)という細菌を感染させてみたところ,鼻腔の粘膜が傷ついているマウスでは嗅神経を通じて脳にも感染が及ぶことがわかりました.さらに,肺炎クラミジアに感染したマウスの脳細胞は,感染症に反応してアミロイドβを放出し沈着させはじめたのです.アミロイドβというペプチドはご存知のようにアルツハイマー型認知症の原因になりますが,これは鼻から入った細菌がアルツハイマーを引き起こす可能性を示唆しています3).
このように,細菌やウイルスにとって鼻と脳をつなぐ嗅神経は,絶好の中枢神経への侵入経路となってしまっています.「鼻毛を抜くのはよくない」といわれますが,確かに鼻をほじったり鼻毛を抜いたりして鼻粘膜を傷つけると,それは脳を傷つけることにもつながるのです.