私たちが子どもの頃は,虫歯に正露丸を詰めていました.なんとなく痛みがとれるような気もしましたし,あの独特のにおいと味で虫歯どころではなかったのかもしれません.正露丸はこれまで長く市販されてきた薬なので日本国民に信頼されていることは間違いなく,いまも救急外来を受診する患者さんに「正露丸を飲んだ」と言われる方が多くいます.
正露丸は,木クレオソートが主な薬効成分でエジプトのミイラの防腐用や生肉(クレアス)の保存(ソート)剤としても使用されていました.「メディカル」の語源ともいわれているメディチ家の家紋の丸薬に木クレオソートが使用された仮説もあり,古代から使用された成分です.日本では森鴎外がドイツよりもち帰り,軍薬として日露戦争のときに日本軍の陸海軍に配布されました.当時は「征露丸」と書かれ,ロシア軍を征するという意味が込められていたそうですが,後に国際関係上,不適切なため,今の「正露丸」に改められたそうです.
木クレオソートはブナや松からとれる液体です.石炭からとれるコールタールを蒸留した発癌性のある石炭クレオソート(別名「クレオソート油」)と誤認混同された歴史がありますが,木クレオソートはこれとは全く別物であり,安全であることが証明されています.
木クレオソートの主な作用は大腸の蠕動運動の正常化1)と腸内の水分分泌抑制2)であり,主に止痢薬として使われます.また,大阪大学からアニサキス症による上腹部痛が正露丸内服後すみやかに軽快した2症例が報告され3),実際に試験管の中でアニサキスを木クレオソートに暴露させると,濃度依存性にその活動が低下することが示されました4).
さらに驚くべきことに,マウスを薬品で刺激して皮膚に炎症を起こさせると,炎症のマーカーであるTNFαが増加し,粘膜のIgAレベルも上昇するのですが,正露丸を内服させたり,においを嗅がせただけでも皮膚の炎症が改善して,TNFαやIgAが減少し,逆にコルチゾールの分泌が増加することもわかったのです5).
今の若い世代は正露丸のにおいをあまり知らないそうですが,私たちの世代は森林へ行くとなんとなく正露丸のにおいを思い出して懐かしい気持ちになるのです.