第6回 生命の多細胞化に必要だったこと~
単細胞のときには1つしかなかった遺伝子が,やがて重複やエキソンシャフリングを繰り返し,それぞれが少しずつ変化してファミリーを形成し,機能的に多様化する.こうして新しい遺伝子ができ,新しいタンパク質が作られ,有害でなければ排除されることもなく,種の集団のなかではさまざまな変異遺伝子が温存される.そうやって増えて多様化した遺伝子が蓄積していることで,あるとき,それに加えてたった1つの遺伝子の変化が起きると,それまでは有効な働き場がなかったタンパク質をやりくりして,結果的に新しい機能を誕生させることはありうることです.
眼をもたなかった動物に眼ができる,脊索をもたなかった動物に脊索ができるといった結果を生じる,などという大げさなことは本当に稀で極端な例でしょうが,当面は役に立たないようなたくさんの遺伝子を蓄積することは,大きな変化への準備段階として有効です.生き物は,これらの遺伝子を特に利用することなく保存している場合もあれば,やりくりしながら使っている場合もある.生き物というものは,やりくりの天才でもあるのです.
脊椎動物はよく発達した目をもっていますが,目のレンズはクリスタリンというタンパク質が集合したもので,極めて透明性の高いものです.クリスタリンも多くのメンバーからなるファミリーで,α-,β-,γ-クリスタリンは脊椎動物全部に共通です.驚いたことに,これらはいずれも,解糖系のエノラーゼや乳酸脱水素酵素,尿素回路のアルギノコハク酸リアーゼの他,プロスタグランジンF合成酵素と構造的に似ていることがわかりました.構造的に似てはいても,多くは酵素としての活性をもつわけではありません.ただ,εクリスタリンについては実際に乳酸脱水素酵素活性ももっているといわれています.脊椎動物だけでなく,頭足類(イカやタコ)ではグルタチオン-S-トランスフェラーゼという酵素が,活性をもったままクリスタリンになっているといわれます.
異なる2つ(以上)の機能をもつタンパク質を,moonlight proteinと称します.ここで使うmoonlight は,昼間の仕事とは別にする『夜の副業』のことです.内職・夜なべ仕事といった感覚です.moonlight proteinは,性質の異なる2つの仕事(機能)をもったタンパク質のことで,こういうタンパク質は最近たくさんみつかっており,例えば極端な例ですが,グリセルアルデヒド-3-リン酸脱水素酵素(GAPDH)は,解糖系の酵素としての活性のほか,DNA修復時やDNA複製時のタンパク質複合体に含まれて働き,男性ホルモン受容体タンパク質が遺伝子DNAに結合して転写促進する際の促進タンパク質としても働き,tRNAの輸送にも働き,細胞死(アポトーシス)のプロセスでも役割を果たし,エンドサイトーシス(貪食)の際や細胞内の小胞輸送にも微小管の重合にも働くのだそうです.2つどころか山ほど副業をしているらしい,というか,ここまでくるとどれが本業なのかわからない.
クリスタリンの場合,解糖系酵素のようにバクテリア時代から存在する非常に古い歴史をもつ酵素タンパク質から,遺伝子重複によって酵素遺伝子が増え,さらに遺伝子変異によってレンズタンパク質になった,というプロセスが考えられます.2つ以上の機能をもつタンパク質があったとき,どちらが主業でどちらが副業かは単純にはいえませんが,今まで知られた例ではクリスタリンに限らず,機能の1つは解糖系の酵素などであることが多いようです.解糖系酵素の遺伝子は,原核生物にも真核生物にも共通に存在するハウスキーピング遺伝子で,生物界で最も古い歴史をもつ代謝系と考えられるので,こちらが主業(古くから携わってきた仕事)だったと考えられます.
進化の過程で,ハウスキーピング遺伝子しかもっていなかった原核生物を出発にして,真核生物がどのようにしてラクシャリー遺伝子を獲得するにいたったかは,大きな謎でした.ラクシャリー遺伝子の誕生は,無から有を生じることだったようにみえるからです.無から有が生じることは滅多にないけれども,既存のものをちょっと変化させて別の役割をもたせることなら,十分に可能性のあることです.moonlight protein発見の重要な意義は,解糖系酵素というバリバリのハウスキーピング遺伝子から,レンズのクリスタリンというバリバリのラクシャリー遺伝子が,遺伝子重複と若干の変異によって誕生する可能性が現実にありそうなことと示したところにあります.
脊索を作るBra遺伝子は脊索動物では脊索を作るのに働いていますが,同じ新口動物の棘皮動物や半索動物にあるだけでなく,旧口動物の環形動物(ミミズなど)にもあり,さらに原始的な刺胞動物(クラゲの仲間)にもあります.これらの動物では,脊索を作ることではなく別の役割りを果たしています.眼を作る遺伝子であるPax6は,哺乳類の発生の初期には神経管の形成に,発生が進むと眼の形成だけだけでなく顔面の形成にも,成体になってからはホルモン形成のα細胞の誘導にも関係するといいます.1つの遺伝子がさまざまな動物で,さまざまな場面で,さまざまな細胞で,さまざまな異なった働きをするようにみえるのは,当該タンパク質の遺伝子が生物によって少しずつ変化して,機能はほとんど同じでも,一連の反応経路のなかで新しい働き方をもったためと考えられます.これによっても生物は新しい応答性を創生することができ,新しい表現形を生み出す可能性があるわけです.これも既存遺伝子のやりくり,タンパク質機能のやりくりの1つといえます.
配列がよく似ているけれども細部では異なるファミリー遺伝子は重複によってできたと考えられています.例としては,さまざまなものがあるのですが,単細胞のときからもっていたタンパク質という意味では,オプシンファミリーが好例です.さまざまな生物が光受容タンパク質としてオプシンファミリーをもちます.ファミリーはすべて,膜に埋め込まれたタンパク質で,光のエネルギーをつかつて機能を果たすことで共通しています.例えば,哺乳類などでは視覚を司ります.しかし,古細菌のもつバクテリオロドプシンは細胞膜にあって,光のエネルギーを使って水素イオンを輸送するイオンポンプとして働いています.生存にとって必須の機能(ハウスキーピング機能)を担っていたバクテリアロドプシンのようなタンパク質の遺伝子が,重複して少しずつ機能的な変化をすることで,やがて視覚にも利用されるようになった,という歴史を示しているのかも知れません.
これまで,現在の分類と,地球誕生から多細胞化への準備について,わかりやすくご紹介いただきました.しかし,「進化の試行錯誤」と「その過程で誕生した生き物」は,とてもここでは語り尽くすことができません.そこで,8月下旬発行の単行本「分子生物学講義中継シリーズ」の最新刊では,「生物の多様性と進化の驚異」を井出先生に大いに語っていただきました! ここで紹介できないことが残念なぐらい,緻密なイラストと図が満載です! 生き物が大好きな人に自信をもってお薦めですので,ぜひ手に取ってみてください.
井出利憲/著
定価 4,800円+税, 2010年8月発行