第2回 地球から細胞が生まれた1
『生物は自然発生しない』ということは,パスツールの実験の結論として有名です.しかし,生物は一度は地球上で自然に発生したはずです.パスツールは間違っていたのか.そんなことはありません.直接に原典を確かめていないところは申し訳ありませんが,パスツールはちゃんと『自分のやった実験の短い期間の範囲では…』と断っているのだそうです.今回は,地球上の生命がどのように誕生しどう展開したかという全体の経過(第2回図1)のなかで,比較的初期のところ,特に太古の地球で有機化合物がどのように生まれたのかについて,最新の知見を紹介します.
太陽の周りを回っていた大量の微惑星が集合して,他の惑星とともに地球が生まれたのが46億年前と考えられます.地球が誕生した後しばらくは,激しい微惑星の落下が続いて,地球表面はドロドロに溶けた溶岩の海,マグマオーシャンでした.溶解した地球では,比重の大きい鉄が中心に沈んでコアを作り,その上をマントルが被った2層構造になりました.微惑星の落下が少なくなると,表面が冷えて固まりはじめました.オーストラリアの堆積岩中に含まれているジルコンという鉱物粒子が44億年くらい前の最古のものとされています(注1).
地球表面が冷却すると,やがて地球表面から放出された水蒸気が水になって地表に溜まり,海ができました.水の起源については,この時期にたくさんの彗星(多くは氷の塊)が地球に降り注いで,それに大量に含まれた水が元になったという考えもあります.いずれにせよ,水の惑星の誕生です.陸地を構成する主要な岩石は花崗岩です.花崗岩は海がないとできず,その存在は海があった間接的証拠といわれます.みつかっている最古の花崗岩は約40億年前のものであり,そのころには海ができていたと思われます.
また,土砂が海底で堆積してできる堆積岩についても,最も古いものは40億年前のものといわれるなど,40億年前には海ができていた証拠がいろいろ存在しています.
38億年前には,海底に噴出した溶岩が固まってできる枕状溶岩が残っていますし,38億年以降には堆積岩が世界のあちこちから発見されるので,38億年前以降には海があったことは間違いありません.大量の炭酸ガスの存在で大気圧が高かったために,初期の海は100℃をはるかに超える高温だったはずです.しかし,海ができると,それまで60気圧ほどもあった空気中の炭酸ガスは海水に溶け,カルシウムやマグネシウムと結合して炭酸塩として沈殿することで空気中の濃度が急速に低下し,数気圧にまで減少したといわれます.それでも現在と比較すれば,とんでもなく高い炭酸ガス濃度には違いありませんが,温室効果は急速に低下して,地球はますます冷却しました.大気圧が1気圧に下がるまでは,依然として海水温は100℃を超えたままでした.
生命の誕生にとって重要なことは,海の誕生によってはじめて水を溶媒とした化学反応が可能になり,その結果,有機化合物の合成が可能になったことです.海の誕生が40億年前だったとすると,細胞が誕生する(最初の化石がみつかる)35億年前までたった5億年しかかかっていません.生命の痕跡は38億年前にあるとの証拠が正しければ,1~2億年しかたっていないのかも知れません.
(注1)ただ,これを含む堆積岩ができたのはずっと後のことです.地球が生まれた46~40億年前くらいまでの,岩石の証拠が残っていない時代を冥王代といいます.ただ,激しい隕石の落下とそれによるマグマオーシャンは40~38億年くらい前に再び起きた(後期重爆撃)との考えもあり,冥王代を38億年前までとする考えもあります.いずれにせよ,冥王代は岩石の記録が乏しい時代で,生命誕生以前の時代です.
地球上の生命は,どこかで誕生したものが飛来したのではなく,地球上で誕生したと考えられます.海ができて化学反応が可能になると,すぐに,無機物から有機化合物が合成されました.この過程を化学進化といいます(第2回図2).やがて誕生した生物が多様な変化をするのが,生物進化です.
生物を構成する主な成分は水と有機化合物です.有機化合物とは,炭素を中心に,水素や酸素や窒素などが共有結合によって結合した,一定の原子集団からなる単位です.生物体を構成する代表的な有機化合物は,アミノ酸,糖質,脂質,核酸などです.重要なことは,現在の地球上に存在する有機化合物は,屍骸や排泄物を含めて,生物の体に由来する以外にはほとんど存在しないことです.つまり,地球上に有機化合物がみつかるとき,それは生物がいた証拠と考えられます.生物を物質的に特徴づけると,有機化合物が水とともに存在して一定の構造を作っているもの,ということができます.
有機化合物が非生物的にできたのだろうとの考えは,すでにダーウィンがいっていたそうですが,具体的な考察としてはオパーリンが1920年代初頭に発表した『生命の起源』が有名なものです.画期的に重要なことは,遊離の酸素を作り出したのは生き物であって,原始の地球には遊離の酸素がほとんどなく還元的な環境にあり,この環境の中では,還元された炭素の化合物である有機化合物は,浅い海で比較的容易に合成できたのではないか,と考えたことです.還元的な環境下で有機物ができるというオパーリンの考えは,1953年になってミラーが,酸素のない原始地球大気を模した環境で放電のエネルギーを与えて,アミノ酸などの有機化合物を作ったことで最初の証明が得られました.有機化合物がひどく簡単にできてしまったのです.
これまでみてきた原始大気が還元的であるとの考えは,地球が冷たいものであった歴史をもつという考えによるものです.しかし,現在ではできたての地球はマグマオーシャンがあって非常に熱く,次第に冷えてきて海ができた時にも,海水は120℃とか130℃という高温であったと考えられるようになりました.こういう経過を経た環境では還元的な大気はできず,水蒸気(H2O)のほかは炭酸ガス(CO2)や窒素(N2)など,酸化的な分子からなります.自由な酸素こそなかったと考えられますが,酸化されてしまった物質からなる環境であった,ということです.こういう酸化的な環境では,有機化合物は簡単にはできません.有機物誕生の話は,再び困難に陥りました.
1977年に,ガラパゴス諸島の北東320kmあたりの深さ2,600mを超える深海底で,熱水噴出口が発見されました.新しい海洋底が誕生する場所で,海底からしみ込んだ海水がマグマに熱せられ,周辺の岩石から金属イオンを大量に溶かし込んで,350℃にも達する高温の水になって海底に噴出する場所です.
周辺には,噴出する水素や硫化水素やメタンを餌にして,たくさんの硫黄細菌というバクテリアが生息しています.また,大量に存在するバクテリアを共生させたチューブワームをはじめ,それを餌として食べるエビやカニの仲間,さらにはサカナの仲間まで,たくさんの多細胞動物が棲み着いていることも発見されました.このような場所に棲むバクテリアは,光合成能力もなく酸素を利用することもない古細菌の仲間で,この環境下で大いに繁栄しています.
有機化合物を合成するのに必要な条件として,『外部から供給されるエネルギー』とこれまでみてきた『還元性』があります.深海底の熱水から供給できるエネルギーとして『高温と高圧』があり,また,噴出する水素(H2)や硫化水素(H2S)やメタン(CH4)やアンモニア(NH3)などは『還元性物質』です.有機化合物を作る条件はそろっています.もう1つの特徴は熱水が高濃度の『金属イオン』を含んでいることです.金属イオンは,有機化合物を合成する際の触媒として働く可能性が高いものです.熱水噴出口は,その構造からみて高温状態で反応が起き,反応物ができた後はすぐに周囲の低温の水に接するため,できた有機物は分解されにくくなります.現在の熱水噴出口の周辺では生き物が集まっていて,生き物が有機物を合成しているのですが,こういう環境では,生き物がいなくても有機物の合成が起きる可能性が高い,というところが重要です.
このような環境を実験室で再現する模擬海水をつくり,材料としてメタンや窒素を加えて高温高圧の条件を与えることによって,さまざまな種類のアミノ酸ができることがわかりました.アミノ酸やタンパク質など,生体を構成するさまざまな有機化合物が作れることがわかりました.
現在では,生物がいない環境で有機化合物が合成され,熱水噴出口周辺で次第に高濃度に蓄積していった,というシナリオが考えられています.
もう1つ,深海底の熱水噴出口が生命誕生の場であるという証拠は,最古の生物化石として35億年前のバクテリア様化石がみつかったのが,海底で噴出したマグマである枕状溶岩のすぐ上に堆積したチャート(頁岩)という堆積岩からであることです.マグマが海底で噴出する場所,すなわち熱水活動の盛んな場所付近であったと考えられます.
生体を構成する分子のうち約70%は水で,残りの30%が有機化合物です.生体を構成する有機化合物の主なものは,アミノ酸,糖質,脂質,核酸で,有機化合物の90%は高分子です.低分子の単位は脱水的に重合して高分子(大きな分子)を作ります.アミノ酸がたくさん重合してできる高分子がタンパク質です.タンパク質の分子量は数万から数十万あります.タンパク質は,細胞の構造を維持する主成分であり,酵素のような機能を司る主成分でもあります.バクテリアや植物細胞の細胞壁,動物の結合組織には,単位となる糖(単糖)が重合した,高分子の多糖類があります.ヌクレオチドという単位がつながった高分子が,遺伝子であるDNAや,遺伝子が働く際に必要なRNAです.高分子の有機化合物こそが生命を特徴づける分子です.
仮に,材料としてのアミノ酸が現在と同じ20種類であったとすると,アミノ酸10個からなるペプチド(小さなタンパク質をペプチドといいます)でさえ,配列の種類は2010種類という膨大なものです.小さなタンパク質でも数百,大きなタンパク質では数千個ものアミノ酸がつながっているので,20100とか203000といったとんでもない種類のタンパク質ができる可能性があるわけです.当時使えるアミノ酸が20種類だったかどうかわかりませんが,いずれにせよタンパク質の種類は,事実上無限に近い.
機能をもつタンパク質は,それぞれが特有の三次構造(高次構造)をもっています.最近の研究では,非生物的にタンパク質を合成する際に,反応条件によってできるアミノ酸の組成や配列に特徴あるいは偏りがあり,特定のアミノ酸組成からなる特定のアミノ酸配列ができやすいことがわかってきました.その結果できる特定範囲の一次構造をもったペプチドから,αへリックスやβシートその他の二次構造が自然に組み上がること(その方がエネルギー的に安定である),結果として特定の二次構造をもったタンパク質が高次構造(三次構造)にまで組み立てられたものは,安定で分解され難いことなどもわかりました.このようにしてできたタンパク質から,利用できるものを利用していった,というプロセスが想定されます.この当時に起きたできごとを推定し,機能をもったタンパク質の誕生過程を探る研究が現在盛んに進められています.まだまだ研究として未熟ではありますが,想像の世界から実証の世界へ入ってきたことが重要です.
模擬環境でさまざまに条件を変えて有機化合物の合成を試みると,条件によって,膜をもった直径数μm程度の球状の物体(ミクロスフェアあるいはマリグラニュール)までが生成することがわかりました.水溶液のなかでタンパク質という高分子ができると,均一な水溶液から不均一な物体として分離し,それが集まってある大きさをもった小胞を作ることがあるというわけです.大きさ的には小型のバクテリアに近いもので,条件によっては,こうしてできた小胞が膜で囲まれた構造をもっていて,細胞のように外部からものを取り込んで次第に大きくなったり,分裂して数を増やしたりまでするのだそうです.細胞の原型としてオパーリンはコアセルベートという仮想的なものを想定しましたが,今日ではタンパク質の集合体として実際にそれを作り出せるようになったわけです.これで細胞ができた,とは到底いえないことは確かですが,生命誕生の初期の段階が,決してあり得ないものでも単なる夢想的なものでもなく,科学の方法で追いかけられる範囲に近づきつつある,というところが重要なことです.
次回は,太古の地球で合成された有機化合物から,どのように細胞が組み立てられたのか,最新の知見をご紹介いただきます.初期の細胞はどのようなものだったのでしょうか?・・・続きは次回!!