第3回 地球から細胞が生まれた2
現在の真核細胞の細胞膜は,グリセロ脂質やスフィンゴ脂質のほか,動物細胞ではコレステロールを含むなど,さまざまな脂質成分を含んでいますが,主成分は,グリセロール-3-リン酸に長い炭化水素分子がエステル結合したグリセロリン脂質です.真正細菌も同様です.古細菌はイソプレノイドという枝分かれのある炭化水素分子がエーテル結合したグリセロリン脂質です.このような脂質分子を非生物的に合成することは,アミノ酸やタンパク質に比べて難しく,生命が誕生するまでのプロセスで,いつ頃どのように作られたかの理解は実は不十分です.
グリセロリン脂質の構造は,一方の端に親水性の高いリン酸があります.実際には,リン酸の先にさらにコリンやセリンや糖など親水性分子がついているのが普通です.分子の他方には,炭化水素の長い鎖の部分があり,ここは水との親和性がない(疎水性であり親油性である)構造をもっています.親水基と疎水基の両方をもつ分子が水中にあると,親水性部分は水となじみますが,疎水性部分は水を避けようとするために,疎水性部分同士が集まって集合し,自然に小胞ができるわけです.原始的ではあるものの,細胞の原型ができたともいえます.細胞の内側と外側という環境の違いを生み出す,最初のしくみを用意したことになります.
脂質でできた細胞膜は疎水性の層をもっているため,親水性の物質を通しにくい性質があります.主要な生体成分であるアミノ酸も糖もヌクレオチドも親水性物質なので,現在のすべての細胞の細胞膜には,それらを輸送する特異的な輸送タンパク質があって,エネルギーを使って積極的に細胞内へ運び込んでいます.Na+やK+,Ca2+,H+,Cl-などについても,それぞれのイオンを専門に輸送するタンパク質があります.現在の細胞膜と違って,誕生したばかりの小胞には,十分に機能する輸送タンパク質が組み込まれてはいなかったでしょうが,内部にあった有機化合物が消費されて濃度が下がると,外から膜を浸み通って少しずつ入ってくる受動的なプロセスはあったに違いありません.消費というのは,分解して消失するようなケースもあるでしょうし,重合して高分子になることで低分子有機化合物の濃度が下がるというケースもあるはずです.やがてどこかの時点では,膜に組み込まれるタンパク質が作られ,タンパク質による輸送機能をもった膜ができたと考えられています.
現在の細胞内では,実にさまざまな物質が変換を繰り返しています.エネルギー源の中心であるグルコースは,代謝されて変化し,最終的に炭酸ガスと水にまで分解されるだけでなく,ガラクトースやアミノ糖など別の種類の糖に変換したり,脂肪に合成され直して蓄えられたり,アミノ酸に変換したり,核酸の材料として使われたりします.こういう物質変換反応あるいは代謝反応はすべて,酵素というタンパク質性の触媒によって進められます.
糖の分解やタンパク質の分解といった比較的単純な反応でさえ,試験管内反応として触媒なしで行おうとすれば,しばしば非常な高温や強い酸性あるいはアルカリ性で反応させる必要があります.酵素という触媒なしには,体温くらいの温度で,中性のpHといった温和な条件で反応させることは不可能です.
現在の触媒はほとんどタンパク質が担っていますが,生命誕生の初期,触媒機能をもつタンパク質が誕生する以前の段階では,触媒反応の中心はRNAであったと考えられています.
RNAというのは不安定な分子で,不安定ということは反応を起こしやすいともいえます.RNAの単位であるヌクレオチドにも,高分子のRNAにも,化学反応を触媒する働きがあることがわかりました.触媒作用をもったRNAをリボザイムと呼びます.例えば,真核生物のpre-mRNAからmRNAができる際のRNAの切断と結合というスプライシング反応を,RNA自身が行っている例が知られています.また,タンパク質合成の際には,アミノ酸とtRNAとの結合の切断反応,アミノ酸がつながったペプチドにさらにアミノ酸をペプチド結合させる反応など一連の化学反応が起きますが,いずれもリボソームRNAが触媒しています.
RNAは,触媒としての機能をもつことに加えて,遺伝子としての機能をもっています.現在の生物の遺伝子はすべてDNAですが,DNAの構成成分であるデオキシリボースは,非生物的(非酵素的)に合成することは大変困難です.だから,DNAが利用できるようになったのは,酵素的にリボースをデオキシリボースに変換できるようになってからのことであると考えられます.それ以前は,遺伝子として働いていたのはRNAであったと考えられています.現在でも,ウイルスのなかには,RNAを遺伝子としてもち,RNAを複製して増殖するものがたくさんあります.RNAが化学反応を触媒する分子として中心的な役割を持ち,遺伝子としての中心的な働きをしていた時代があったと考えて,その時代をRNAの時代(RNAワールド)と呼びます.
RNAは化学的に不安定で触媒作用を示したかも知れませんが,RNAができた時代にはすでに多くの種類のタンパク質が存在していた可能性が高いことを考えると,RNAは裸で働いていたのではなく,RNAとタンパク質とが複合体を作ってRNAを安定化し,触媒作用を発揮するのを助けていたと考える方が妥当に思います.触媒作用については,多くの種類のタンパク質が多くの種類の反応を触媒できるようになると,触媒としての役割がRNAからタンパク質に移行していったのだろうと思います.限られた範囲の触媒作用しかできなかったRNAに比べて,タンパク質は信じられないくらい広範な機能を果たし,タンパク質による新しい機能世界が生まれたわけです.また,現在でもRNAが遺伝子として機能することは明らかですが,DNAの方が安定であることと,誤りの修復の観点からも有利なDNAに置き換わっていったと考えられます.
細胞が生まれようとしている初期の状況では,適切な裏打ちタンパク質によって補強されていない細胞膜は,脆弱なために破れたり閉じたりしていて,その度に物質が流出したり流入したりした可能性が高いと思われます.個々の原始的細胞は,どういう高分子触媒をもつかによって,特定の化学反応が起きやすくなるという特徴が生まれていたと思いますが,ある細胞のなかである代謝によってある物質が生成すると,それが他の細胞へ流れ込んで,そちらの細胞で特徴的な代謝系によってさらに別の物質に代謝される,といった変化が頻繁に起きていて,細胞集団が1つの細胞あるいは組織のように協調していた可能性があります.ナノマシンとしてのタンパク質や,ナノマシンでもあり遺伝子でもあったRNAも,時々破ける細胞膜を通って漏れ出したり,他の細胞に取り込まれたり,細胞の融合や分裂によっても,細胞間で盛んにやり取り(受動的ではあっても)されていた時代であったと考えられています.
生命誕生の初期には,細胞間で遺伝子の移動もかなり大規模に起きていた可能性があります.遺伝子のこういう伝わり方を水平移動といいます.水平移動というより,ごちゃ混ぜと言った方がよいかも知れません.現在の細胞には,外来の遺伝子が自分の遺伝子と簡単に混ざらないような防御機構がかなりしっかり作られていますが,初期には特別な防御機構はなく,細胞膜が時々破けて,周囲にあった裸のDNAや,ほかの生きもののDNAが自分のDNAになってしまうことがあった可能性があります.
このような見解が生まれたのは,古細菌と真正細菌と真核生物は,それぞれに特徴的な遺伝子構造をもっていますが,お互いに特徴的な遺伝子をモザイク的に共有しているという事実のためです.遺伝子の複製,転写,翻訳といった遺伝子の基本的な役割りに関するタンパク質の遺伝子については,移動や混ざり合いが少なく,本来の系統の遺伝子を保存していて,真核生物ではこのような遺伝子の大部分が古細菌と共通のタイプです.第1回でもみましたが,こういう基本的な遺伝子で調べると,古細菌,真正細菌,真核生物という3つのグループ分けは比較的明確です.これに対して,真核生物のもつ代謝などにかかわる酵素の遺伝子では古細菌由来のものが多いとはいえ,20~30%が真正細菌タイプの遺伝子で占められており,真正細菌(の先祖)から移動したと思われます.真正細菌のなかの超好熱細菌では遺伝子のおよそ4分の1が古細菌タイプといわれます.こういうDNAのやり取りが頻繁にあって,徐々に古細菌,真正細菌,真核生物が成立していったものと考えられます(第3回図1).古細菌と真正細菌と真核生物の3者が完全に分離するまでは,このような渾然一体的な状態だったとすれば,真核生物の分岐も相当に古いことなのではないか,という見方が可能です.
・図1:『理系総合のための生命科学 第2版』(東京大学生命科学教科書編集委員会/編,羊土社,東京,2010)図24-6を参考に制作
さて,現在の生物を構成する細胞は,どんなに単純にみえても相当に複雑な構造と機能をもっています.すべての細胞には,遺伝子の働き(DNAという物質が複製して遺伝情報を子孫に伝えることと,遺伝情報からRNA合成を介して,必要なときに必要な種類のタンパク質を必要な量だけ合成し,体を構築し機能させるシステムの全体),細胞膜の働き(物質の選択的通過,物質の能動輸送による必要な物質の細胞内濃縮,周囲の環境情報を受容して,それに対処して応答反応を起こすこと),物質代謝とエネルギー代謝(細胞に必要な物質を合成・変換・分解し,それに必要なエネルギーを生産する)などの体系的な機能が必要です(第3回図2).これに加えて,細胞分裂という子孫を作る機能が必要です.原始的ではあっても,基本的にこのような性質をもった単位ができたとき,細胞の誕生といえます.このような先祖から誕生した現在のすべての細胞は,先祖のもっていた性質を共有していると理解されています.
・図2:『化学進化・細胞進化』(石川統 他/著,岩波書店,東京,2004)p23図4を参考に制作
遺伝情報機構の成立だけに着目しても,DNAの複製,mRNA合成による遺伝情報の転写,アミノ酸とtRNAとmRNAの共同作業による翻訳など,それぞれのステップが相当に複雑なものです.複製だけでも,何十種類もの特徴的な機能をもったタンパク質が,協調的に複合的に働くことによってはじめて進行できます.タンパク質合成系では,はるかに多くのタンパク質とRNAがかかわっていて,はるかに複雑なシステムが働いています.初期から精緻を極めたものではなかったとしても,基本的な性質は備えた初期の系が成立するまでには,多くの試行錯誤があったと想像できます.このような系が進化してきたプロセスについても,単なる想像ではなく,実証的に迫る研究がはじまっています.
この段階ではまだ生命が生まれたとはいえませんが,この先のプロセスまで含めて考えても,地球上の生命の誕生は,滅多に起きない,再現することの困難な事象であって,『非常に稀な偶然』によって起きたことであると考えるより,そう長い時間をかけることなく『一定環境の中では必然的に起きること』と考えられます.一定の環境がありさえすれば,長くても5億年,短ければ1億年以内に,生命は必然的に誕生すると考えてよいと思います.
次回は,真核細胞がいつどのように何から生まれたのか,誕生にはどのようなことが必要だったのか,最新の知見をご紹介します.真核細胞の先祖はどんな細胞だったのでしょうか?・・・続きは次回!